今年の彼岸花 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ - 9月 30, 2022 今年(2022)の彼岸花探索先は、京都府亀岡市の穴太寺(あなおじ)付近でした。以前に紹介した巾着田(埼玉県)は全くの観光地ですが、こちらは田んぼのあぜ道に咲いています。訪問日(2022.9.24)はまさに真っ盛り。一部は枯れ始め、でも一部はこれから咲くぞという感じです。ご興味のある方、たぶん、あと1週間で終わっちゃいますよ。急いでください。このあたりは、彼岸花が終わると、コスモスの盛りになるようです。あるまかんポイント・この記事を書いた前後から、新聞でもヒガンバナの記事を多く見かけるようになりました。来年はどこか訪れてみたいものです。・奈良の飛鳥もヒガンバナが有名だそうです・兵庫県加古川市の円照寺で5色のヒガンバナが咲くそうです・徳島の勝浦町では道路沿い300メートルがヒガンバナで真っ赤に染まるそうです リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ コメント
けーへん、こーへん、きーひん - 1月 21, 2025 電車で6つ先の駅に住んでいる孫(男の子、7歳)が我が家に一泊旅行に来ました。 「きょうは、お姉ちゃんは来ないの?」と聞くと「こーへん」と答えました。 「ん?」と思って、「えっ?」と聞き返すと「こーへん」と言います。 翌週、今度はもうひとりの孫(女の子、12歳)が我が家に泊まりに来ました。 「弟は来ないの?」と聞くと、「こーへん」と答えます。もう一回聞いても「こーへん」と答えます。 孫の7歳の男の子は神戸生まれですが、4歳の時に引っ越して、今は、大阪に住んでいます。 孫の12歳の女の子は、福井で生まれて、神戸で10歳まで過ごし、今は、大阪です。 「こーへん」は「来ない」の神戸弁です。大阪では「けーへん」と言います。ちなみに、京都では「きーひん」と言います。 言いたいこと ・関西はひとつとちゃうで‼‼‼ ・言葉を覚えた土地が母語や‼‼‼ ・方言は面白い‼‼‼ 以上‼‼‼ それが何やねん!という話です。知らんけど。 2025.01.21追伸 孫二人の母親(義理の娘、つまり息子の嫁)に「君の出身地の富山では何という?」と聞きました。「来ん(こん)」だそうです。 続きます・・・・・ »
朋あり遠方より来る x 3 - 11月 24, 2022 この1週間で偶然にも次々と3人の旧友に会いました。 最初に会ったのは高校時代の友人のK氏。「仕事で君の家の近くに行くから、帰りに一献」というメールが来たので近所の焼鳥屋へ。コロナ禍ということばをあまり使いたくはありませんが、外食をするのも気を使うような状況になってから初めての友人との会食でした。と言ってもK氏は酒を飲まないので、彼の話を肴に私だけが酒を飲んでいました。彼によると「来年の3月で雇用延長期間も終了し、その後は自由人になる予定。ただし、今の仕事を引き継いでくるれる後輩がいないので、その部分だけ呼び出されて嘱託として仕事をするかもしれない」とのこと。 次に会ったのが小学校6年間と中学校3年間ずっと同級生のS氏。近所に住んでおり、3年前までは3か月に一度くらい飲みに行っていたのですが、最近はLINEで「元気か?」だけで終わっていました。自転車での買い物帰り、偶然、彼も夫婦で自転車で走っているところに出会い、立ち話。「来月に雇用契約が終了するので、今、有給休暇の消化期間中」とのこと。 3人目は東京での仕事仲間で、現在は山形で仕事をしているU氏。4年ぶりに「明日、そちらに行くので遊んでくれませんか」というメール。東京時代は2人で飲み歩いていた仲で「もちろん」としか返事をするはずはなく、翌日の昼からビアホールとショットバーのはしご酒。U氏によると「10月に、突然、11月で雇用契約が切れるが再契約無し、と言われ憤慨中。春からずっと契約はどうなるのかと質問していたのに返事はなく、今になってひどい。でも、まあ、もういいかと思っている」とのこと。 三人三様の(私を含めると四人四様)人生ですが、定年後の仕事について同じような情報が聞こえてくる1週間でした。「コロナ何するものぞ」でがんばりましょう。 続きます・・・・・ »
柿食えば・・・・ - 11月 23, 2025 「柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺」という俳句がある。つい最近まで、芭蕉か、一茶の句だと思っていたが、子規の句らしい。「つい最近」とは、3分前のことである。3分前までは、芭蕉か一茶だと思っていた。 調べてみたら、違っていた。 子規といえば「またおかしき」ではなく、「まさおかしき」であるが、そんなことはどうでもいい。 子規は、「ああ、法隆寺で鐘が鳴っていることよ」と感じた。ということは、子規は、法隆寺には、いなかった。たぶん、隣の中宮寺にいた。私は、中宮寺の半跏思惟像よりも、広隆寺の半跏思惟像のほうが好きだ。中宮寺は観音菩薩で、広隆寺は弥勒菩薩である。 話は「柿」である。 柿には、すごい力がある。鐘を鳴らす力の話ではない。柿の味の話である。 子規が、どんな柿を食べたかは。知る由もないが、硬い柿だったのか、ジュクジュクの柿だったのかを想像してみたい。硬い柿は、あまり味がない。歯応えはある。ジュクジュクの柿は、甘い。驚くほど甘い。感動するほど甘い。しかし、歯応えはない。 美味しいのはジュクジュクだが、子規が食ったのは、硬い柿である。硬い柿でないと、鐘は鳴らせない。 考えてみてほしい。硬い柿も、ジュクジュクの柿も、同じ柿である。硬い柿と、ジュクジュクの柿の間には、「グラデーション」がある。と、思いませんか。徐々に、味が変化していくと、感じたことはありませんか。最後には、干し柿にまでなる。 例えば、リンゴ。リンゴにはグラデーションはない。と思う。例えば、バナナ。美味いか、臭っているかのどちらかしかない。グラデーションはない。ミカンも、グラデーションはない。当然、スイカもない。ましてや、ブドウに、あるはずはない。マツタケはわからないが、マツタケは果物ではないので、どうでもいい。モモも、グラデーションはなさそうだ。 で、柿を食えば、鐘がなるのである。ジュクジュク柿を頑張って食べている時には、鐘の音なんて聞こえるはずがない。 正岡子規は(マタオカシキではない)、熟す前の硬い柿を食べて、「熟すまで待つ忍耐が必要」と言いたかったのだ。きっと、そうに違いない。 続きます・・・・・ »
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