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数の子から逸、悦を考える

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 もうすぐ、正月。 正月の楽しみといえば、お節料理と、旨い日本酒。とくに、数の子と日本酒の組み合わせがいい。しかし、「数の子」というネーミングは、どうもピンとこない。 数の子は、ニシンの卵である。鱈の子供は「タラコ」であり、鯛の子供は「鯛の子」と呼び、ニシンの卵が付いた「子持ち昆布」や「子持ち若芽」はあるが、どうして、ニシンの卵だけが「数の子」なのか。どうして、日本国民は、そこに疑問を感じないのか。 話は変わる。秋田県の男性に「逸」や「悦」が付く名前が多いと感じた話である。 「秋田県のことなど興味がないし、そこに住む人の名前など、興味のあるはずがない」「秋田県がどこにあるか知らない」という人も、秋田県に行けば感じるはずである。「逸」「悦」の付く名前が多いことを。例えば「秀逸」「秀悦」「勇逸」「勇悦」という具合である。それぞれ。「しゅういつ」「しゅうえつ」「ゆういつ」「ゆうえつ」と音読みする。 実は、その理由を知っている。それは、訛りである。 かつて、秋田に限らず、子供が生まれた時、役所に申請に行くと、窓口で、子供の呼び名を聞かれた。まだ、漢字を書ける人が少なかったので、届出人の発音を、窓口の担当者が漢字に直した。 「生まれた赤ちゃんの名前は?」 「『ゆういち』です」 「えっ?」 「『ゆういち』です。」 ここが訛ってしまうのである。 「ゆういち」と言っているつもりが、訛りのために「ゆういつ」に聞こえるのである。「ゆうえつ」と聞こえる時もある。だから、本当は「勇一」という名前なのに「勇逸」や、「勇悦」になってしまうのである。 諸説あると思うが、間違いない。 ところで、「諸説ありますが・・・」という言い方が、いつの間にか、市民権を得ているが、諸説とは、一体、いくつの説なのか。2つであれば、諸説とは言わずに、二説というはずなので、3以上であるはずだ。先の、私の「逸、悦説」は、実のところ、他の説を知らない。知らないが、調べるのも面倒なので、「諸説」とごまかした。しかし、読者には、「いろんな説がある」と伝わってしまう。まるで、フェイクニュースである。 話は、二つ前に戻る。 秋田県では、ニシンのことを「かど」と呼ぶ。居酒屋へ行っても「かど焼き」と言って、生のニシンを焼いてくれるところもある。もう、お分かりだろう。「かど」が訛るのである。「かど」が訛ると、「かず」と聞こえる...

有名な学者に、「ワークライフバランス」について、お聞きしました。

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 (フェイクニュースです) 記者「先生。ワークライフバランスの、ベストな状態のバランスは、何パーセントずつですか?」 識者「一般的には、ワーク対ライフは、50%:50%がベストです。ただし、子育て中は、40%:60%になることもやむを得ないと考えます。」 記者「なるほど。多少の誤差は、許されるということですね。」 識者「そうですね。厳格すぎるルールは、ルール破りを生むと言いますから、ある程度の柔軟さは必要ですね。」 記者「ありがとうございます。今、ルールとおっしゃいましたが、企業としてのルールという意味ですか?」 識者「あっ。あくまで、それは、表現上の話で、規則を作るということではなく、目標を持つという意図ですね。」 記者「そうですか。安心しました。ルールを作ると、ルールの番人が必要で、また、生産性のない、余計な仕事が増えますからね。」 識者「そうですね。ワークライフバランスとしても、生産性は大事ですからね。」 記者「納得しました。ところで、生産性の低い、ダメ社員でも、やっぱり、50%:50%のバランスがいいのですか。」 識者「もちろんです。ダイバーシティの時代ですから。生産性の低い社員を差別してはいけません。」 記者「理解しました。ところで、2点お聞きしますが、まず一つ。50%:50%と仰る比率は、何の比率ですか?2点目。ダイバーシティって、差別しないという意味ですか?」 識者「・・・・・・・・・」 記者「(答えられないのかい!)」

柿食えば・・・・

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「柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺」という俳句がある。つい最近まで、芭蕉か、一茶の句だと思っていたが、子規の句らしい。「つい最近」とは、3分前のことである。3分前までは、芭蕉か一茶だと思っていた。 調べてみたら、違っていた。 子規といえば「またおかしき」ではなく、「まさおかしき」であるが、そんなことはどうでもいい。 子規は、「ああ、法隆寺で鐘が鳴っていることよ」と感じた。ということは、子規は、法隆寺には、いなかった。たぶん、隣の中宮寺にいた。私は、中宮寺の半跏思惟像よりも、広隆寺の半跏思惟像のほうが好きだ。中宮寺は観音菩薩で、広隆寺は弥勒菩薩である。   話は「柿」である。 柿には、すごい力がある。鐘を鳴らす力の話ではない。柿の味の話である。 子規が、どんな柿を食べたかは。知る由もないが、硬い柿だったのか、ジュクジュクの柿だったのかを想像してみたい。硬い柿は、あまり味がない。歯応えはある。ジュクジュクの柿は、甘い。驚くほど甘い。感動するほど甘い。しかし、歯応えはない。 美味しいのはジュクジュクだが、子規が食ったのは、硬い柿である。硬い柿でないと、鐘は鳴らせない。 考えてみてほしい。硬い柿も、ジュクジュクの柿も、同じ柿である。硬い柿と、ジュクジュクの柿の間には、「グラデーション」がある。と、思いませんか。徐々に、味が変化していくと、感じたことはありませんか。最後には、干し柿にまでなる。 例えば、リンゴ。リンゴにはグラデーションはない。と思う。例えば、バナナ。美味いか、臭っているかのどちらかしかない。グラデーションはない。ミカンも、グラデーションはない。当然、スイカもない。ましてや、ブドウに、あるはずはない。マツタケはわからないが、マツタケは果物ではないので、どうでもいい。モモも、グラデーションはなさそうだ。 で、柿を食えば、鐘がなるのである。ジュクジュク柿を頑張って食べている時には、鐘の音なんて聞こえるはずがない。 正岡子規は(マタオカシキではない)、熟す前の硬い柿を食べて、「熟すまで待つ忍耐が必要」と言いたかったのだ。きっと、そうに違いない。

納豆の怒り

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 たぶん、納豆はイカッている。苦労して、独自のニオイを はなっているにもかかわらず、正式な名前で読んでもらえていないことに憤慨しているようだ。 納豆は「豆を納める」と書く。どこに納めるかというと、例の「ワラ」である。しかし、ナットウ(ここで、急にカタカナになるのは意図があってのことで、タイプミスではない)の、本質は、ニオイ(匂いか臭いかがわからないのでカタカナにする)であって、ワラではない。 ニオイとは、腐ったニオイのことである。腐った豆のニオイである。腐った豆?では、「豆腐」ではないのか?! そこが怒りのポイントである。 かつて、ナットウの漢字は、納豆ではなく豆腐であった。腐った豆であった。そこに、トウフが来た。「来た」と言うより、「ねじ込んで来た」のほうが正しい。型に納まった豆、つまり、納豆はトウフであった。トウフはナットウであった。ナットウはトウフであった。 訳がわからなくなった。 とにかく、かつて、納豆が豆腐で、豆腐が納豆であった。ここに、異論を挟む余地はない.。

「ワークライフバランスなんてくそくらえだ」と言ったのですよね?(ワークライフバランス その4)

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自民党総裁選で勝利した高市早苗氏の「ワークライフバランス」発言については、既に、違和感を感じておられる方も多いと思うが、ここで私見を述べさせていただく。 高市氏は「私は総裁になった。今後は、ワークライフバランスというようなことを考えずに、国民のために仕事をする」という趣旨の総裁着任の挨拶をした。 これは、間違いなく、小泉氏への嫌味である。小泉氏は、ワークライフバランスの名のもとに、育児休暇を取得した。高市氏は、「そんなことでは、国民のための仕事はできない」と言いたいようである。また、「だから、あんたは負けるんだよ。ざまあみろ」と表情で付け加えているように見えた。また、これは「挙党態勢」と言いながらも、その気がないことを意味している。 ただし、国民のために仕事をすることと、ワークライフバランスには、何の関係もない。高市氏は、しかし、何らかの関係性を見ている。つまり、氏の周りには、必死で仕事をしない政治家が多いということだろう。 もう一つ問題がある。氏は「ワークライフバランス」を「時間」という「量」で捉えている。これは、かねてからの議論ではあるが、ワークライフバランスは、量ではなく、質の話である。つまり、高市氏が「寝食を忘れて」仕事をすることが、氏にとってのワークライフバランスのはずであり、時間の問題ではないはずである。(「寝食を忘れて」が「ワークライフバランス」の代わりに使うべき言葉であったにも関わらず、氏は、語彙不足であった。) もう一点。ワークライフバランスは、もともと、「仕事をしている女性が家庭のケアができない状況を改善する」ための言葉であった。つまり、女性をサポートするための考え方が源である。高市氏は、それを「ワークバランスなんて言ってられない」と片付けてしまった。是非はともかく、世論からはかけ離れている。 安倍政治を継承するという意味が、右傾化だけではなく、「言葉を弄ぶ」ことの継承にならないことを望む。 ワークライフバランスの定義は、人によって違う。それは、業種、職種によっても違うし、ポジションや能力によっても違う。性別によっても違う。個人の家族構成や家計の状況によっても違う。当然、価値観によっても違う。つまり、「質」の話である。しかし、質は測れない。だから、「時間」を尺度としてしまうのも致し方ないとも思うが、だからこそ、軽々しく使ってはいけない言葉である。...

AI雑感 ➁: 日経XTECH(クロステック)NEXT関西2025に参加して

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2025年6月に「日経クロステックNEXT関西2025」というイベントに参加しました。 このイベントは日経BP社が主催して行われたものですが、「クロステック」はIT、建設、製造の分野がクロスオーバーしていることを意味しています。 大阪の中心である梅田が会場で、関係するベンダ各社の展示ブースと50-60人くらいから100名くらいを聴衆にした30分くらいのセミナーが数多く行われました。 現役時代は情報収集を目的として今類の展示会+セミナーには積極的に参加していたのですが、引退してからは初めての参加です。 参加の理由は2つあります。 ひとつ目の理由は、「引退してから8年が経過し、その間の情報技術(IT)の進歩や変化に疎くなってしまっていることへの反省」です。定年で引退する最後の年(つまり、8年前)には「顧客からの質問に対して迅速な回答ができるように、わが社もAIを導入すべきである」という社内部署からの提案に「AIは、未だ、進歩の途上にある技術の為、それを安易に導入すべきではないし、コストベネフィットがあるとは思えない(試算したコストは5億円)」と一蹴し、「RPA (Robotic Process Automationの略で、定型化された事務的な処理をソフトウェアに実行させて人的コストの削減や業務の合理化を行う方式)を導入して社内の業務を合理化すべきである」と言い出した部署(購買部であった)には「君の部署の中でコンピュータに行わせる定型業務を洗い出し、その業務に従事している人員コストの削減案を明確にすべし」と押し返しました。 でも、8年が経過した今、そんなことを言っていると相手にされない時代になっているのです。 もうひとつの理由があります。たまに受注するコンテンツライティングのテーマが、最近、「AI」「RPA」「情報セキュリティ」ばかりなのです。そのため、最新情報に触れておかないとライティングができない状況になっています。 このイベントへの参加で技術が身についたわけではないのですが、(無料で)自分の知識が古くなっていることを再確認することができて、とても感謝しています。 ただ、かつてのように、ハードウェア、ソフトウェアの導入を前提としておらず、あくまで自分の知識不足を確認するというスタンスだったため、ベンダ各社のブースで深い、実務的な質問をすることができまかったことは残念で...

AI雑感 ①:「フェイク」と「生成AI」を同じ土俵で語る朝日新聞の不思議

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2025年6月15日付の朝日新聞朝刊に「この画像、『フェイク』?『リアル』?」というタイトルの記事(コラム)が掲載されました。 その記事は2枚の写真を載せて、「どちらも、フェイクだ」と断じています。1枚は、二人の少年が石の階段に腰掛けている画像。もう1枚は、プロらしいバスケットボールの試合で、多くの選手が、ゴール下でボールを取り合っています。 二人の少年の写真については、「一人のお尻が石段にめり込んでいること」、バスケットボールの画像については、「ひとりの選手の足が3本あること」が「フェイクの理由だそうです。 この記事を読んで、違和感を感じた私は、すぐさま、朝日新聞の編集部にメールを書きました。 メールの主旨は「これらの写真は生成AIが作成したと思われるが、生成AI=フェイクと評価するのはいかがなものか。フェイクとは、人を欺く意思のもとで作成されるものであり、この写真に悪意は感じられない。既に市民権を得ている生成AIを『フェイクをまき散らす悪者』とするのは、時代遅れではないか」というものです。 当然のことながら、朝日新聞からの返事はありませんが、リアル、フェイク、生成AIを同列に論じる記事は、生成AIにあまりなじみのない読者に対するフェイクではないのでしょうか。 例えば、この画像をご覧ください。これは、私が生成AIに「外国人観光客が日本を楽しんでいる画像を作ってください」とプロンプティング(指示)してできたもので、このブログの別の記事にも使っています。 この画像は、ひと目で、生成AIが作ったものだとわかります。何故かというと、人物の性別、人種、肌の色は様々ですが、顔のつくりは全て同じです。まるで家族のように似ています。 では、これと同じ意図の写真を京都などの観光地で実際に撮影したら、何が起こるでしょうか。そうです。「肖像権の侵害」です。あまり気にしない方もいるかもしれませんが、勝手に人の写真を撮って、ブログに載せることは許されません。フェイク記事とは別の意味で、問題になってしまいます。 このように、想定される問題を避けるために、生成AIを便利に使うことも可能です。これも朝日新聞は「フェイクだ」と言うのでしょうか。 この記事は朝日新聞の浅薄さを指摘することを目的としている訳ではありません。 ただ、AIから離れた生活をしている人、将来、AIを使いこなさなければいけない人...

ポピュリズム

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 ポピュリズム辞書を作ってみました。 ポピュリズムとは。 「民主主義は多数決」の名のもとに、国民のご機嫌取りの施策を連発する政治のこと ビジョンの無い短視眼的な政策のこと 今の日本の政党全てを表現する便利な言い方 ご機嫌取りの政策を、「政治」と勘ちがいしている国民が喜ぶ政策 国民民主党、立憲民主党、日本維新の会と、自民党、公明党、共産党の違いを、曖昧にするもの ポピュリズムではないもの 経済的成長が必須だと考えることに疑問を持つこと 「分断」「弱者」「貧富の差」を、レトリックとして使用しないこと 統計(的なもの)で、誤魔化さないこと ロジックが明確に説明できるもの(例:備蓄米を随意契約にすれば米の価格が下がるというロジックがどこにも存在しない) ポピュリズムが関係する問題 令和の米騒動 SNS選挙 年収の壁 等々 最大のポイント ポピュリズム政治は是か非か?(私見:絶対に「非」です。理由は、将来を考える/将来を担う日本国民のためにならないから) AIに「ポピュリズムを表す画像」と指定すると・・・ 上段:by Gemini、下段:by Copilot ちなみに、ChatGPTに「日本のポピュリズムを表現する画像」とプロンプティングしたら、山本太郎氏と立花孝志氏と斎藤元彦氏の画像が出てきましたが、危険なので、掲載していません。(Www)

日本の評判・・・ホント?・・・お天道様が見ている

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YouTubeにアップされている動画の中に、訪日外国人旅行者に食事をご馳走しながら、日本の印象を聞いているものが多くある。そんな動画を見るのは嫌いではない。それは「日本が褒められているから」。 何が褒められているのか。 ・街が清潔でゴミが落ちていない:ごみ箱がたくさん設置されている訳ではないので、人々はゴミを捨てないで持って帰る ・人々が、みんな礼儀正しく親切である:英語が話せなくても、困っている外国人がいたら、何とかして助けようとしてくれる ・食べ物がおいしい:とくに、ラーメンと寿司 ・伝統的なものと近代的なものが融和している:建物のことらしい 話は変わるが、最近、「日本人は『お天道さまが見ている』という日本の心を忘れたのか」と感じることが多々ある。 ・ごみ収集日でもないのに、ごみを道路に出すがいる ・空き缶やたばこの吸い殻を道端に捨てる輩もいる ・挨拶もできない大人が多い ・困っている人がいても知らん顔をして通り過ぎる ・コスパだけを考えた食べ物が多く、本当の味を提供できない店が多い さて、前半の「外国人に褒められるニッポン」と、「私が感じる『お天道様が見ている』を忘れた日本人」のどちらが、実体なのだろうか。見方によっては、正反対である。 考察1:YouTubeの撮影者は、食事をおごる外国人に「日本の良さ」のコメントを強要しているのではないか(ほとんどが同じコメントである) 考察2:その外国人たちは、食事をおおごってもらうので、忖度しているのではないか 考察3:YouTubeの撮影場所は、ほとんどが、渋谷などの繁華街だが、外国人たちは、裏側まで見ていないのではないか 考察4:ごみのポイ捨てを無神経に行う輩は、若者に限らないようだが、年齢以外の属性を調査することで、「挨拶ができない」「困っている人を助けない」との共通項がつかめるのではないか 考察5:コンビニ、回転ずし、ラーメンを日本代表と思われていいのか 結論1:間違いない 結論2:多分、間違いない 結論3:間違いない 結論4:非常に興味深いが、「お天道様が見ている」という意識も併せて調査すべし 結論5:日本人も、そう思っているようだ で、実は考察4以外は、あまり興味が無い。 「お天道様が見ている」が日本の道徳観だと思っているが、宗教観でもあるような気がする。 日本人は、貧しくなったのだろうか。精神的に。

読後感想文「遠い太鼓」村上春樹

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  (投稿タイミングの早さを重視しましたので、内容が薄くなっています。いずれ、書きなおします) 僕は「ハルキスト」ではない。だが、村上春樹の本の8割くらいは読んでいる。その始まりは、大学の合格祝いにもらった図書券だった。その図書券で買ったのは、泉谷しげるの写真集と村上春樹の「1973年のピンボール」だった。当時から泉谷しげるのファンだったが、「村上春樹」という名前は知らず、自分が「ピンボールが得意」と言う理由だけの、ジャケ買いならぬ「タイトル買い」だった。 「1973年のピンボール」にはビールを飲む場面が多く描かれており、その影響で、飲めなかったビールが飲めるようになったことを覚えている。ただ、本当のハルキストの方々には申し訳ないが、それ以外の作品の印象はそれほど強くない。 そんな僕が一冊だけどうしても紹介したい村上作品がある。 「遠い太鼓に誘われて私は長い旅に出た・・・」というトルコの詩の引用から始まる「遠い太鼓」だ。小説ではない。紀行文とか、滞在記というような種類の作品で、ギリシアとイタリアでの氏(と夫人)の生活風景を綴ったものなのだ。もう10回以上読み返している。8回くらい読んだところで、その単行本がボロボロになったため、新しいものに買い替えた。それくらい気に入っている。 どこが気に入っているのか。 まず、文体と内容の穏やかさである。小説であれば、その展開のために、何らかの事件や出来事が必要だが、この本にはスリルやサスペンスと言うものは無い。未知の土地での生活なのでいろいろと面倒なことは起きる。それでも、この本を読むと落ち着いた気分になる。私は、日中に読書をするという習慣は無く(仕事関係は別だが)、夜、ベッドに入って「眠くなるまで読む」ことを趣味としている。この本は、日中に起きた僕のまわりの煩わしい出来事をすべて忘れさせてくれて、穏やかに眠りに入ることができる。どうしても自分で昇華(消化)し切れない問題を抱えている時、この本を読むと気分が落ち着き、その問題を忘れることができる。 もうひとつは、村上氏自身が主人公として前面に出ていないことだ。特に現地の人との交流の描写は秀逸である。 ギリシアの賃貸レジデンスの管理人であるヴァンゲリス氏とのやり取り。雑貨屋のアナルギロス氏との会話。いろいろな人々との心の通い合い方は村上氏の人間力によるものかもしれない。 ベ...

授業のアイデア「新聞の読み方」(教案)

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(投稿タイミングの早さを重視しましたので、内容が薄くなっています。いずれ、書きなおします) 小学校高学年の先生、中学校の先生、外国人向け日本語教師の皆さんに授業のアイデアを提供します。もしかすると、高校の先生も使えるかもしれません。是非、参考にしてください。 このアイデアは、私が実際に日本語学校の上級学生の教師として試していたものです。 用意するもの:ひとつの新聞記事のコピー(全員分)、ステークホルダー分析シートA、B ・望ましい記事:国際情勢、政治、社会情勢など(なるべく関係する人や組織が多いもの) ・好ましくない記事 :事件(殺人、単純な事故)、芸能、スポーツの結果、家庭欄、株式欄、コラム、社説 授業のステップは3つです。45分、50分授業では、少し時間が足りないかもしれません。できれば1日の内で完結させた方がいいと思いますので、できれば、2限をつなげて行うのが望ましい形です。そうしないと、新鮮味がなくなるので、最悪の場合でも2日で仕上げるのが良いと思います。  個人タスクとグループタスクがありますが、予め、4~5人のグループを組んでおくと便利です。  1.見出しから内容を想像する(個人) まず、教師が見出しだけを板書します。この時点では、まだ、記事のコピーは配りません。 その見出しを見て生徒に「何の記事か」を考えさせて、発表させます。 2.記事を読む(個人) 各自にコピーを配ります。(注:記事は全員同じものです) 時間(10分程度)を指定して、新聞を黙読させます。 その際に、読めない漢字や、意味のわからないことばに線を引かせます。 3.記事を抄読する(グループ) (時間を決めて)読めない漢字や意味のわからないことばを発表し合い、助け合って、解決していきます。 それでもわからないものは紙に書き出しておくように指導します。 制限時間が来たら、各グループから、読めない漢字を発表させ、教師がそれを解説します。(板書を利用) それに続けて、意味のわからないことばを発表させ、教師が解説します。(板書を利用) 4.ステークホルダー分析Aを行う(グループ) その記事に登場する人物(または役職)や組織を抽出させ、ステークホルダー分析シートAに書かせます。 時間が来たら、各グループからひとつずつ発表してもらいます。その際、重複を避けるため、板書を使って、発表され...

1月7日に投稿したなぞなぞの答え

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1月7日に投稿した「なぞなぞです。『でまかせ』と『いいだしっぺ』」記事がアクセス数30を越えましたので、約束の通り、なぞなぞの答えをお知らせします。 第1問:「でまかせ」ばかりを言い続けたら何になりますか? でまかせ・・・でまかせ・・・demakase・・・demokase・・・democrase・・・democracee・・・democracy・・・デモクラシー 「でまかせ」ばかりを言い続けたら「デモクラシー」。「democracy」。つまり「民主主義」になりました。 近年「民主主義は終わった」と言われます。民主主義は「でまかせ」だったのでしょうか。そもそも、民主主義とは何だったのでしょうか。日本は社会の形としては民主主義で、良い意味の社会主義とも言われますし、似非民主主義とも言われます。特に、日本の健康保険制度は優れモノで、他の国ではまねできません。これは、貧富の差や高齢化を越えたもので、ほとんど活用していない私でも「素晴らしい」と思っています。かつて、米国でオバマ氏が導入に挑戦しましたが、助け合うという精神の無い国では困難だったようです。 イデオロギー面を見た場合、もちろん、ロシアや中国は民主主義ではありません。でも、アメリカは民主主義でしょうか。ドイツは?イギリスは?フランスは?民主主義の次に来るxx主義が何なのか楽しみです。 実は、むかし、英語圏の友人に「でまかせ」といったら「democracy ?」と聞き返されました。 第2問:「いいだしっぺ」を続けたら何になりますか? 「いいだしっぺ」は何らかのアイデアを人に先駆けて言葉で表現することです。「沈黙は金なり」「男は黙ってxxxxビール」「不言実行」の対極にありますが、あまり、良い意味では使われていません。 では、「いいだしっぺ」も何度か続けて声に出してみましょう。 いいだしっぺ・・・いいだしっぺ・・・いいだしっぺ。ここまでで答えがわかりますか。 続けます。 いいだしっぺ・・・iidashippe・・・Uidashippe・・・Luidashippe・・・Leidashippe・・・Leadashippe・・・Leadershippe・・・Leadership・・・リーダーシップ 何と!「いいだしっぺ」が「リーダーシップ」に変わりました。あまり良い意味ではないはずが、良い意味の言葉になりましたが、ある面では...

けーへん、こーへん、きーひん

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 電車で6つ先の駅に住んでいる孫(男の子、7歳)が我が家に一泊旅行に来ました。 「きょうは、お姉ちゃんは来ないの?」と聞くと「こーへん」と答えました。 「ん?」と思って、「えっ?」と聞き返すと「こーへん」と言います。 翌週、今度はもうひとりの孫(女の子、12歳)が我が家に泊まりに来ました。 「弟は来ないの?」と聞くと、「こーへん」と答えます。もう一回聞いても「こーへん」と答えます。 孫の7歳の男の子は神戸生まれですが、4歳の時に引っ越して、今は、大阪に住んでいます。 孫の12歳の女の子は、福井で生まれて、神戸で10歳まで過ごし、今は、大阪です。 「こーへん」は「来ない」の神戸弁です。大阪では「けーへん」と言います。ちなみに、京都では「きーひん」と言います。 言いたいこと ・関西はひとつとちゃうで‼‼‼ ・言葉を覚えた土地が母語や‼‼‼ ・方言は面白い‼‼‼ 以上‼‼‼ それが何やねん!という話です。知らんけど。 2025.01.21追伸 孫二人の母親(義理の娘、つまり息子の嫁)に「君の出身地の富山では何という?」と聞きました。「来ん(こん)」だそうです。

なぞなぞです。「でまかせ」と「いいだしっぺ」

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 なぞなぞです。 第1問:「でまかせ」ばかりを言い続けたら何になりますか? 第2問:「いいだしっぺ」を続けたら何になりますか? 答えは、このブログ記事の閲覧数が30を越えたら、記事を更新してお知らせします。

「やっぱり、人はそれぞれ」と感じた話

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「有閑館新聞(あるまかんしんぶん)」という壁新聞PDFを年1回発行し、年始に知人友人宛にメールで発送している。そもそもの目的は、年賀状に「ご無沙汰しております。お元気ですか。」と書いても、先方が元気かどうかがわかるのは1年後の年賀状な訳だし、昨今の印刷のみ年賀状をいただくだけでは、それさえもわからなくなっていることへの対応策で、せめて、こちらの近況だけでも詳しく伝えなければと考えたことがきっかけで、もう7年続いている。 その有閑館新聞を通じて「やっぱり、人それぞれ、とらえ方が違うんだ」と感じた話。 今年は、自身の近況だけではなく、フェイクニュースをフェイクと断ったうえで掲載した。以下がそれである。 経産省特別トイレ対策発表 経済産業省は最高裁の判決「トランスジェンダーの女性(元男性)が女性用トイレに入れないのは違法」という判決を受け「トランスジェンダー用トイレ」を新設した。通称「トラジェントイレ」はトランスジェンダー専用だが、元男性か、元女性かは問わない。ただ、元女性の利用者から「元男性と同じトイレを使うのは納得できない」と経産省を告訴することを決めた。経産省はこの状況から、「元男性用トラジェントイレ」「元女性用トラジェントイレ」に加え、「L用」「G用」「B用」を増設する計画を提示し、告訴を取り下げるよう協議の場を設けたが、市民団体から「税金の無駄遣い」と告訴されることになった。ただし、経産省は国連の人権委員会から「多様性を重視している」と表彰されることになっているらしい。 短い記事だが、これに対して、「面白い発想だ」と言う感想や「多様性重視の時代ですね」という感想があった。この感想が「やっぱり、人それぞれ、とらえ方が違うんだ」と感じた理由である。 私は、このフェイク記事を通じて何を言いたかったのか、お分かりいただけるだろうか。 最高裁のポピュラリズム化の危うさ LGBTと言うものの本質の不透明さ 官僚(経産省)の短視眼性、しいては、政治の短視眼性、および、両者のポピュラリズム化 国連の浅はかさ (これは隠れたテーマだが)「日本をLGBTに優しい国にする」と言った馬鹿な政党への批判 (派生形として)「夫婦別姓が重要テーマ」だという馬鹿な政治家たちへの批判 つまり、私は、権威的なものや無能な政治を批判しているのであり、決して多様性を云々しているのではない。むしろ「...

ユネスコ無形文化遺産登録、おめでとうございます。「伝統的酒造り」

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2024年12月5日、日本の「伝統的酒造り」が、ユネスコ無形文化遺産として登録されることになりました。おめでとうございます。 登録の対象は「杜氏(とうじ)・蔵人(くらびと)等が、こうじ菌を用い、日本各地の気候風土に合わ せて、経験に基づき築き上げてきた、伝統的な酒造り技術(日本酒、焼酎、泡盛等)」です。 日本酒好きの私としても、無形文化遺産登録はとてもうれしく思います。日本酒、焼酎、泡盛をあわせて「国酒」と呼ぶこともあり、日本文化の発信材料としても面白いテーマだと感じています。ただ、焼酎、泡盛も飲む私ですが、「好き」と言うほどではなく、あくまでも日本酒好きです。ビールも飲みますが、喉を潤す程度しか飲まないので、アルコール飲料であれば何でも好きという訳でもありません。また、陽が高いうちは決してアルコール飲料を口にしないと決めているので、私の中では、晩酌での日本酒が一日のしめくくりとして最高の贅沢だと位置付けています。 でも、日本酒に関係して悩ましいと感じるテーマがあります。 日本酒は「日本酒」以外にも「清酒」「酒」というような呼び名がありますが、まずは、その定義を紹介したいと思います。 日本酒: 原材米に国内産米のみを使い、かつ、日本国内で製造された清酒を「日本酒」といいます。外国産米を使ったものや、海外で造られたものは、「日本酒」とは定義付けられていません。(日本酒造組合中央会) 清酒:米、米こうじ及び水を原料として発酵させてこしたもの(アルコール分が22度未満のもの)。または、米、米こうじ、水及び清酒かすその他政令で定める物品を原料として発酵させてこしたもの(アルコール分が22度未満のもの) 。(国税庁、酒税法) 酒:これは一般的な呼称のため、日本酒をさす場合も有りますし、種類全般をさす場合も有ります。ただし、これをSakeとローマ字表記すると「日本酒」を意味することになります(すでに英語になっています)が、上記の厳密な日本酒、清酒をさすかどうかまでは定義されていません。(有閑館) さて、話を元に戻します。悩ましいと感じるテーマがあると先に書きましたが、何が悩ましいのでしょうか。ひとつは「クラフトサケ」。もうひとつは「外国で造る酒」の話です。 日本国内で酒類を製造するためには酒類製造免許が必要ですが、日本酒製造については、長年、その免許がおりない状況が続いているよ...

国立大学法人 XX大学 XX県創生学部 2025年度カリキュラムとシラバスのお知らせ

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各位 地方創生を信条としている総理からの通達です。 以下の通り、国立大学法人 XX大学 XX県創生学部における2025年度のカリキュラムとシラバスをお知らせします。 在校生、新入生は熟読して授業に臨むようにしてください。また、本学部を受験予定の皆さんも、この資料を参考にして、入学後の授業イメージを持つようにしてください。 1年次テーマ:XX県の「変化しないもの」と「変化していくもの」を学ぶ ・地理的特徴を知る ・歴史を知る ・産業/経済/行政/環境を知る ・近隣県、地域、国との関係を知る ・問題/課題を知る(過去/現在/未来) 2年次テーマ ・観光業以外の地方創生策には、どんなものがあるかを考える ・地方創生策のベースとなる「ビジョン、ミッション、バリュー」ステートメントを考える 3年次テーマ ・君が設定した地方創生テーマについて、以下の考察を行う 1.人口動態への影響 2.地方財政への影響 3.継続性についての検証 4.イデオロギーとの関係(社会主義、資本主義等) 4年次テーマ ・君が考えたテーマを実現するためのプロジェクト企画書を作成し、プレゼンテーションをしてください。 再度、お知らせしますが、これは、地方創生をビジョンに掲げている総理大臣からの提案によるシラバスです。決して、軽はずみな、短絡的な内容にならないよう、十分に検討を行い、実行可能な計画を4年間で立案してください。 例えば「観光産業を活発にして、観光客を呼び込む」と言うようなアイデアそのものは「短絡的な内容」という評価になります。なぜならば、その結果として描かれる「ビジョン」が見えないからです。 また、「女性の住民を増やして、婚姻率を上昇させ、出生率も上げる」と言うような例も「短絡的」と言えます。 これらのような例を提案する場合は「ビジョン」との論理的な関係性を明確にしてください。 日本の未来は、君たちの手に委ねられています。

どの組織にも、その組織なりの価値観がある

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X (Twitter)には、政治(政策)への様々なコメントが投稿されている。その中でも「もうXを見るのはやめよう」と思わさせるのが、「XXXX円の壁」と表現される減税に対するコメントである(2024.12.17現在)。 「某党が国民のための減税案を出しているのに、それに賛成しない与党、政府はおかしい」という論調なのだが、どうしても首を傾げたくなる。 ある党が「国民のため」という名目で出した案は、全てホイホイと賛成しなければいけないのか。その案は国民のご機嫌取りではないのか。その党の人気を上げるためのものではないのか。その案は「国のかたち」に対して本質的に役立つものなのか。 「多様性」「ダイバーシティ」という言葉が多く使われるようになったが、その本質は「性別の違い」「国籍の違い」「肌の色の違い」「年齢の違い」ではないと私は考えている。本質は「価値観の違い」である。性別が違って、国籍も肌の色も違い、年齢も違う人が多く集まって、同一の考え方をしたグループを多様性のあるグループとは言わない。それは、多様性のないグループである。 その点から、某党が出した某案に賛同するかどうかは多様性の問題であり、民主主義の本質であると思う。「Xを見るのをやめよう」と感じるのは、その原則を考えずに(もしくは、知らずに。または、無視して)批判的な言い回しで価値観の多様性を認めない投稿のせいである。 転じて、ビジネスの現場で同種の違和感に悩まされたことを思い出す。 私は、社内情報システム部門に属し、社内の業務運営を円滑にするため、売り上げを伸ばすため、コストを適正化するために、情報システムに関するソフトウェアやハードウェアを導入・運用することを業務のテーマとしてきた。 この業務には2面性がある。「攻め」と「守り」である。「攻め」の代表的なものは、先に述べた「売り上げを伸ばすためのシステムの導入」であり、「守り」の代表は「情報セキュリティの確保」である。 営業部門は売上増加が至上の命題であり、そのためのシステム化要望を突き付けてくる。ただ、こちらは、売上増加策は理解できるものの、セキュリティ確保も避けられない課題であり、両者のバランスが必須となる。バランス案としての「落としどころ」を見つけないといけないのだが、要求者は「売上増の邪魔をする気か!」と言い出す始末である。 さて、話はもとに戻る。Xにある...

Globalizationなんてクソくらえだ‼‼

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「Globalizationなんてクソくらえだ」‼‼ 下品なタイトルである。だが、本当にそう思っている。自分の体験から出たセリフである。 (以下はGlobalizationではなく、グローバライゼーションと表記する。グローバリゼーションという人もいるが、私の中ではグローバライゼーションである) その前に・・・・。 トランプ氏が再びUSAの大統領になる。彼は、私と同じくグローバライゼーション反対派である。米国第一主義というそうだが、反グローバライゼーションと同義である。 私は、日本の経済の低迷は、グローバライゼーションと言われ始めた時期とリンクしていると思っている。グローバライゼーションのために「日本的経営」を棄てた。iPhoneで儲けるために「ガラケー」を棄てた。それ以外にも、グローバライゼーションの名のもとに多くのものを棄てたり、余計なものを導入した(「個人主義」などと言うもの等)。 Work@Homeなどという欧米からきた馬鹿げた仕組みは、すぐに企業から飽きられ、欧米でさえ導入をやめている企業が多いと聞く。何故か?「働くことが罪」の宗教観から来ている考えをグローバライゼーションとしたからである。 Work Life Balanceの概念も欧米からきた。これも、グローバライゼーションと言う名を借りたが、共通の概念はなく、労働時間の短縮と理解している輩も多い。 さて、私の経験したグローバライゼーションの話である。 本社(日本国内ではない)から「グローバライゼーションとして、世界レベルで情報システムを共通化してコストを下げるとともに、オペレーションを標準化する」というお達しが来た。いい話である。ビジネスとしては当たり前の話である。が、日本にとっては全くいい話ではなかった。 「日本は情報システムの品質を高めるためにコストをかけすぎている。コストを下げるために品質を落とせ」「日本だけにしか存在しない業務プロセスのための情報システムを作るな」という指示にすり変わったのである。 この指示への対応にどれだけの労力と精神力が費やされ無駄になったかわからない。徒労である。 グローバライゼーションなんてくそくらえである。トランプを見倣って日本第一主義を掲げるべきである。中国しかり、英国しかり、多くの国は○○第一主義とは言わないが、実体はそのものである。 日本第一主義を政府のビジョンに...

お天道様が見ている

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①「お天道様が見ている」という表現をあまり聞かなくなりました。 ②「公序良俗に反する振舞い」が増えたように思います。 「①と➁に相関関係はあるのか」と、ふと疑問を感じたのでこの文を書き始めました。書き始めたばかりなので、この時点で落としどころは見えていません。 ①について。 「あまり聞かなくなった」と、最初に書きましたが、いつ頃によく聞いたのか?誰に聞いたのか?と自問しても、はっきりしません。でも、今、知っているので、誰かに聞いたか、本で読んだかだと思いますし、お天道様を「おてんとうさま」と読むことも知っています。「おてんとさん」と誰かが言っていたような記憶も微かにあります。 ②について。 小さなことから、大きなことまで、最近起きている、様々な「公序良俗に反する」ことにモヤモヤします。と言っても、殺人、強盗、詐欺などのように「全くの犯罪」ではなく、グレーゾーンで起きていることです。 昨年引っ越した新築マンションの通用口が半年後に壊されました。多分、住民の誰かの仕業だと思われます。 そのマンションのごみ置き場には、ドアがついているのですが、ごみを捨てたあと、きっちりとドアを閉めない住民がいます。 回転ずし屋の醤油さしをなめまわす若者がいます。 死んだ鯨を海中に沈める費用をごまかしたと思える市の職員がいます。 知事になる気もないのに、選挙ポスター板を占拠し、それを売ることで金もうけをたくらむ輩がいます。 脱税をしているのに国会議員や大臣を続けている政治家がいます。 私もこの前、少し、カスハラっぽいことをしてしまいました。スーパーマーケットのセルフレジで精算した後、空きカゴを置く場所が見つからなかったので、近くにいた担当の店員に「どうしたらいいですか」と聞いたら、少し離れた場所を指さされました。私の期待は「こっちでやっておきますから、そのままで結構ですよ」という返事だったのですが。ムッとして、カゴをその場に置いて帰りました。 酔っぱらって、カード支払いがうまくいかなくて店員の所為にしたこともあります。 実は、そのあとで「お天道様が見ている」という言葉が浮かんできました。なので、今後は、同じことはしないと思います。 で、①と➁の相関関係ですが、「有る」という結論にしたいと思います。 町中に、市役所に、国会議事堂に「お天道様が見ている」ポスターを貼ってみたらどうでしょうか。効...

男女共同参画は何に参画する話?

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妻は「保育ボランティア」という活動しています。 何をするかというと、乳児を持つ母親(父親も可)が、市の企画する様々な講座や講演に参加する際に、その2-3時間だけ子供を預かり、親が心おきなく勉強したり、自分時間を過ごすことを陰でサポートするというものです。 市の「男女共同参画事業」という中から生まれたもので、なかなかいい考えだと思います。 今朝、妻が軽く愚痴をこぼしました。 「最近、講座や講演がキャンセルになることが多いの」 「どうして?」 「講座に人気が無くて、参加者が集まらないのよ」 「ふーん」 「来週の『40歳で初産のお母さん講座』は集まるみたいだけど・・・。あとは全部キャンセル・・・」 「へーえ、そういう時代なんだ」 「前回は『35歳』だったけどね」 「なるほど・・・」 「あと、集まるのは、『読書の時間』かな」 「何、それ?」 「お母さんが自由に本を読んでいる間、子どもを預かるの。これは長く続いているけど、『キャサリン先生の英会話』も終わっちゃったし、あまり、難しいのはダメ見たい」 市の企画が悪いのかという話ではありません。「男女共同参画として乳児を持つ母親(父親も可ですが、ほとんどが母親なので)が何を求めているか」という話です。 この事実だけで語るのはよくありません。それを自覚した上での話ですが「母親たちが求めているのは、リスキリングや技術の向上ではなく、『自分の時間』なのではないか」と感じます。そして、その背景には「女性の(再)社会進出」ではなく「ワンオペでの子育ては大変」「時々、逃避願望」という感情のように感じます。 ありきたりですが、地域やコミュニティでのサポート、拡大家族(複合家族)が復活するような社会政策が必要だと思います。政治の根源的な話ですが・・・。 (写真は本文とは無関係です😋)

Expo’70で・・・

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ぼくが小がっこうをそつぎょうする3がつにばんぱくがはじまりました。 そのまえの1月か2月にマサミ君とゆうちゃんと3人でこうじ中のばんぱくのしゃしんを取りに行きました。コダックのカセットカメラをもって行きました。大きなたてものをたくさん作っていました。アメリカかんも作っていました。オーストラリアかんも作っていました。しゃしんを取ってカメラやさんでげんぞうしてもらったら、アメリカかんとオーストラリアかんがかさなって二じゅううつしになっていました。 ばんぱくがはじまって8かい行きました。130くらいのパビリオンをぜんぶ見ました。 さいしょにはいったのはモルモンきょうかんでした。いみはわかりませんでした。ソ連かんにも入りました。入ったところでソ連かんの人がじぶんでつけていたバッジをくれました。いまももっています。 アメリカかんで2じかんならんで月の石を見ました。そのときはコメッチとコッペとならんで、まっているあいだ、ヒデとロザンナのあいのきせきをずっとうたっていました。 とうしばかんも行きました。とうしばというかいしゃは今はだめだそうです。アイビーエムかんもあったとおもいます。ぞうげかいがんかんも行ったとおもいます。カナダかんも行きました。でも、何がかざってあったのか思い出せません。オーイーシーデーかんもいきましたが、そんなくにのなまえははじめてききました。 でも、おぼえていることがあります。アメリカンドックをはじめてたべました。フレンチドックというなまえだったかもしれません。アメリカンドッグはソーセージをくしにさして、そのまわりをメリケンこのようなものをつけてあげたものです。とてもおいしかったです。アメリカンドッグがばんぱくの一ばんのおもいでです。 こんど、大さかで、また、ばんぱくがあるそうです。ぼくはろくじゅうななさいになります。 また、ばんぱくに行ってアメリカンドッグをたべようとおもいます。あとは、あまり、きょうみがありません。

つぶやき「国のビジョンについて議論しては如何?」

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ビジネスの世界では「どういう企業になりたいか、 そのために何を するのか、それは、どんな方法で実行するのか」 を決めて経営を行うのが定石である。ところが、 日本の政治家は政治の場でそれをしない。 与党も野党も日本をどんな国にしたいかというビジョンを語らない 。例えば、五万円を国民に配るというような、 ビジョン無しの姑息な(政策ではない)施策の、 背後に見えるのは、ビジョンではなく、 自分の政治生命の延命のみである。  政策研究会という派閥でも構わないが、政策を研究する前に「 将来のこの国の形」というビジョンを研究してはいかがだろうか。 政策はそれをもとに検討するもののはずである。 私は若者ではない。しかし、 私はビジョンに投票する選挙に参加したい。多分、今、 選挙に行か ない若い世代のほとんどがそう思っている。 ビジョン対ビジョンの議論に期待している。  未来ある若者に国のビジョンを伝えてほしい。そうすれば、 必然的に政治への関心も高まるはずだ。  政治家のみなさん。もうすぐ、若者の時代がやってきます。 若い世代に何を託しますか。

RACIの話

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少々、難しい話ですが・・・・。 タイトルの4文字は「レイシー」と読みます。ご存知の方は、プロジェクト管理やシステム開発に馴染みのある方かもしれません。仕事を進めて行く中での役割を意味しています。 この4文字はそれぞれ、 R esponsibility、 A ccountability、 C onsulted、 I nformedの略です。 意味はと言うと、次の通りとなります。 R esponsibility:実行責任者(工夫をしながら、課題に立ち向かって、仕事を最後までやり遂げる責任者) A ccountability:説明責任者(どうしてその仕事をしなければいけないのかを説明する責任者であり、実行責任者に実行を指示する立場) C onsulted:相談役(仕事が課題に直面した時に相談する相手) I nformed:報告対象者(仕事の進み具合や発生する問題・課題の状況を報告する相手) 最近、世間でよく使われるのが「説明責任」という言葉。つまり、Accountabilityですね。 「説明責任を果たす」とか「説明責任を果たしていない」と表現されることが多いのですが、単に「説明する」という意味でも、「知らなかった」と釈明することでも、「聞いていなかった」と逃げることでもありません。「なぜ、そうするように指示をしたのか。その目的は何だったのか」を聞いている側が納得できるように話すことなのです。 実行責任者である経理担当者が努力して、工夫して、組織のために脱税したのであれば、説明責任者は「なぜ、脱税しろと指示したのか」を説明しなければいけません。まして、それが、公僕であれば、説明する義務があります。 もしも、聞いていなかったのであれば、管理不行き届きで同罪になるべきでしょう。一般企業ではそうなっています。 何の話か、おわかりですよね。 国会議員、総理大臣は、もっと日本語の勉強と社会人の常識を勉強しなければなりませんね。 ああ、情けない・・・・・。

読後感想:だからHow-To本を買うのが嫌なんだ

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  「何者にもなれなかった」というフレーズに惹かれて、その表現を冠した How-To 本を購入した。内容が薄っぺらで期待外れが多いため、また、私自身が簡単に他人に教えられて知識を得ることをよしとしない性格のため、 How-To 本を滅多に買うことはないのだが、いくつか考えたいポイントがあり、買うことにした。 40 歳で役職名を持たない会社員は、どうやって自己肯定感を醸成すればいいかという指南書である。 結論から言うと、「一考に値する」本である。 どのように一考に値するのか。 まず、著者が「会社の中での出世(役職)を是とする基準で書いている」という驚きである。そして、その是とする流れに乗れなかった(乗らなかったとは書いてない)人間をどのように慰めるかという論調になっている。ダイバーシティが叫ばれるこの時代に、である。「自己実現=出世」という著者の価値観が理解できないわけではないが、高度経済成長時代の価値観の匂いを感じてしまう。 ふたつ目の一考は「 40 歳を基準にしていること」である。「 65 歳までは、当たり前。 70 歳まで、それ以上の年齢まで、どう働くかを考えなければいけないこのご時世に」である。 40 歳という年齢を会社員生活のピークと考える時代ではなくなってきているはずなのに。 三つ目は「 40 歳で何者にもなれなかった会社員が発生する原因は、その上司世代の怠慢である」と分析している点である。一般的に、大学卒の新入社員とその上司(例えば課長)の年齢差が 15 歳~ 20 歳とすると、 40 歳になった会社員の上司は 60 歳前後となる。つまり、ほとんど、私と同じ世代だ。残念ながら私は高度成長時代を担った人間ではない。後進の育成に注力したと思っている私は例外か?(注力と成功は違うが) そして、四つ目の一考である。著者は、 1965 年生まれの女性 で、 タレント 、気象予報士、健康社会学者、長岡技術科学大学非常勤講師、 東京大学 非常勤講師、 早稲田大学 エクステンションセンター講師の肩書を持つらしい( Wikipedia より)。あくまで想像だが、昨今の、 SNS で名を売る論客と呼ばれる人たちと同じ「ウケ狙い」か。 最後の五つ目のポイントは、タイトルにある「僕」の文字である。明らかに、男性を指している。著者は女性であ...

引っ越しました

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  引っ越しました。と言っても、町名は変わらず、丁番号が変わるくらいの近所への引っ越しでした。 この前まで住んでいた家は、2階+ロフトで、キッチンと風呂が2階にあるという設計(設計アイデアは妻)でしたが、「そろそろ、階段に危険を感じる年齢になってきている」という私の意見で、近所のマンションに引っ越したという次第です。 思えば、(孔子にはかなわないものの)人よりも多くの転居を経験しているように思います。あらためて数えると、今回が11回目になります。転居好きな訳ではなく、仕事の関係でそうなってしまったのがほとんどで、学生時代の下宿生活の開始と今回の2回だけが、仕事に関係の無い転居と言うことになります。 「人間至る所に青山あり」の言葉の通り、どの町に住んでも、そこで一生暮らしたいと感じるところばかりです。 特に「盛岡」は、離れてからも、度々、訪れるくらい好きな町です。冬は気候が厳しく、気軽に出かけるというわけにはいきませんが、家から10分くらいのところに小さなスキー場(雪が融けるとゴルフ場に変身)がありましたし、もう少し足をのばせば、有名なスキー場もたくさんあります。気候が良くなると、住んでいたマンションの裏を流れる川で釣りができ、休日の時間つぶしにはもってこいでした。でも、何といっても「街のスケール感」が一番のお気に入りです。自転車があれば、市内のどこへでも行けます(冬は無理です)。今年(2023年)のはじめに、ニューヨーク・タイムスが「2023年に行くべき52か所」に盛岡を選んだのは慧眼としか言いようがありません。 私自身は、会社の命によって盛岡に住むことになったのですが、この辞令には感謝しています。(盛岡を離れることになった辞令は恨んでいます) もうひとつの好きな都市は「東京」です。東京については、このブログの記事「 単身赴任の掟 その1『土地に惚れろ 』」にも書いていますが、「大都会だから」という理由ではなく、やはり、「文化の中心だから」ということになると思います。 あるまかんポイント ・盛岡は内陸部ですが、三陸から送られてくる魚介類は美味しいものばかりです。そのなかでも、私の好物は「ホヤ」です。地元出身の友人から調理の方法を教わり、スーパーで見かけるたびに買っていました。

Udemyを始めました。タイトルは「WBSを使い倒せ !!」

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久しぶりのブログ更新になりました。3か月以上のブランクでした。 その間に、自宅を売却し、マンションに転居し、つまらないコメントばかりが目に付くTwitterをやめ、このブログの自動広告をなくし(現在は復活させています)、Lancers経由でライターとして働き、その後、一念発起で、Udemyデビューを果たした3か月でした。 UdemyはUSAで開発された学習ツールで、講師がスキルアップのための、視聴者にいろいろなコンテンツを提供する仕組みです。 有償のコンテンツは学習者が料金を支払い、講師がそのうちの分担金をUdemyから受け取るというものです。(無料コースもありますし、無料のクーポン券もあります) このブログは、あまり読者が多くないので、効果は薄いのですが、一応、デビューしたUdemyの宣伝をしておきます。 WBSを使い倒せ !! イントロダクションコース  (リンクを貼っています) ・Work Breakdown Structureをいろんな場面で活用するためのヒント ・無料コースです ・約30分のコースです WBSを使い倒せ !! 初級コース  (リンクを貼っています) ・Work Breakdown Structureをいろんな場面で活用するための基礎知識と応用知識 ・有料コース(8,800円)ですが、自動的に値下げされることがありますので、ご確認ください。 ・約1時間30分のコースです WBSを使い倒せ !! 中級コース  (リンクを貼っています) ・Work Breakdown Structureの実践法 ・有料コース(15,000円)ですが、自動的に値下げされることがありますので、ご確認ください。 ・約1時間30分のコースです 3つのコースとも、ユーザー名とメールアドレスの登録で視聴することができますので、お気軽に視聴していただき、最後に出てくる、コメント入力と評価(星xx個)をお願いします。 有閑館ポイント ・良いコンテンツだと思っています。が、WBSになじみのない人には、とっつきにくいかもしれません。

形容詞が修飾している言葉はどちらでしょう?(異次元の少子化対策)

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  教えてください。日本語の国語の質問です。 「異次元の少子化対策」の「異次元」が修飾しているのは「少子化」ですか?それとも「対策」ですか? 答えが「少子化」なら、つまり「異次元の少子化」なら、もう20年近く前から少子化になると言われていたのに、どうして今更「異次元の少子化」などと言うんですか? 答えが「対策」なら、つまり「異次元の対策」なら、5,000円や10,000円の支給で、何がどのように「異次元的に」変わると考えているのですか? あなたに聞いているんですよ! (ちなみに、このイラストはMicrosoftのBardで「異次元の少子化対策のイメージを作ってください」と入力してできたものです。何でしょうかね?)

なんと残酷な・・・。悲しいです。

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 かつて、東京銀座の近くに住んでいた時、驚くべき光景に出会いました。銀座のにぎやかな通りのあちらこちらに花(切り花の花だけ)を敷き詰めて絵のようなカーペット風のものを作っていたのです。 私は、驚きと、悲しさで涙が出ました。「どうしてこんなに残酷なことをするのだろう?必死で生きている花をこんなみじめな姿にしてまで観光客を呼びたいのだろうか?人間の傲慢ではないのだろうか?」という気持ちでした。そんな、傲慢な残酷なイベントも2011年を最後に、取りやめになったと聞きました。理由はわかりません。主催者に「残酷なことはやめてください」と投書をしたことを覚えています。 ところが、今度は、東京フラワーカーペット(三菱地所主催)が行われているそうです。銀座で感じたいやな思いがよみがえってきました。 と、思っていたら新聞に「大根島由志園(島根県)では、牡丹の花で池を埋め尽くすイベントをやっている」という記事が。 動物には虐待という言葉を使う人間は、植物に虐待という言葉を使わないのでしょうか? 嬉々としてこんなイベントをやっている主催者。そこを訪れる観光客。xx映えという言葉を求めて、そんな植物虐待の写真を撮る人間たち。 それって、回転ずしのいたずら映像と違わないですよ! 神宮外苑の樹木を切る切らないが話題になっていますが、切ると言っている知事は、こんなイベントを虐待だとは思わないのでしょうね。是非、「切る」のではなく「整備する」と思える神宮外苑にしてほしいものです。 昨日、家の周りの雑草除去のため、除草剤をまきました。

絵馬の背景

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   絵馬を眺めるのが好きだ。正確に言うと、絵馬に書かれた願い事の背景にある物語を想像するのが好きだ。神社の納所にはたくさんの絵馬が吊してあるが、他人が書いた絵馬に手で触れると失礼なので、あくまで願い事が書かれた面だけを眺めると決めている。  願い事の種類としては、やはり「合格祈願」や「学業成就」が多い。高校受験、大学受験に加えて、資格試験を目標にしている絵馬もある。「医学部に絶対合格」を見ると「寝る時間も惜しんで勉強しているんだろうな。母親は夜食を準備し、他の家族も声を潜めて生活し・・・」などと勝手な想像をめぐらせてしまう。「合格祈願」の 4 文字の後に複数の人の名前が書かれた絵馬もある。きっと、学校か塾の先生が休みの日にお参りに来たのだろう。この先生と生徒たちは日頃から仲が良くて、生徒が先生に何でも相談できる良い関係なんだろうなあ。「ほら、次の授業が始まるから、また放課後に話しにおいで」という先生の優しい言葉がいまにも聞こえてきそうだ。  次に多いのが「健康」「病気平癒」だ。もう 30 年以上前になるが、私も父が病で臥せっている時にお百度参りをし、その後で「病魔退散」の絵馬を奉納した記憶がある。願いは一旦かない、大手術の末、父は自宅に戻ることができたが、残念ながら 3 年後に他界した。  本人の学業成就のように、自分のことであれば「人事を尽くして天命を待つ」というモチベーションが絵馬に表れるが、自分ではなく周囲の人間のことになると、人事を尽くすことにも限界があり、天の助けを求めざるを得なくなる。その結果、絵馬も少し暗い表情になっているように見えるのは、私の考えすぎだろうか。  先日、とある神社の納所を見ていると「xxxx(歌って踊る若者の人気グループ)のコンサートのチケットが当たりますように」という絵馬があった。神様は学業を成就させてあげたり、病気をなおしてあげたりすることで忙しいのに、チケットの当選サポートまで手が回るのだろうか。この絵馬を奉納した人は、何度もチケット抽選に申し込んだが当選せず「もう神頼みしかない」と意を決して、はるばるとこの神社に足を運んだに違いないが、本人も神様も人(神)事の尽くしようがないパターンである。  「パパがフィリピンから早く帰って来ますように」と書かれたかわいい絵馬。ダムか高速道路か大きな工事のプロジ...

「梅にウグイス」より「梅にメジロ」

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 梅の季節がやってくると、散歩を兼ねて観梅に行きます。昨日(2023年2月18日)は兵庫県神戸市東灘区の「岡本梅林公園」に行きました。 梅の場合は「…分咲き」の表現が桜とは違うと感じています。桜の場合は、1本の木がだんだん華やかに満開を迎えていく進行度を「…分咲き」と表現すると思うのですが、その一帯には同種の桜が植えられているので、進行度がだいたい同じになります。ところが、梅の場合は、いくつもの違った種類を植えているので「…分咲き」の進行度が木によって違うのです(学術的にどう表現するかは知りません)。 昨日の「岡本梅林公園」は満開が3割ほど、5分咲きが3割ほど、あとは「開花まであと1週間」くらいの進行度でしたので、まだ、見ごろは続くと思います。 この写真は昨日撮影したものですが、梅の向こうに大阪湾が見えます。あいにくの曇り空だったのでわかりにくいのですが、この岡本梅林公園は高台にあり、梅と街と海のコントラストがおもしろい場所です。ただし、「高台=駅から歩き始めて、公園にたどり着くまで急こう配の坂を上らないといけない」という場所ですので、歩きやすい靴がおすすめです。 ところで、この写真の上部に写った電線に小鳥が2羽とまっているのにお気づきでしょうか。「梅にウグイス」といいますが、残念ながら、ウグイスではなくスズメです。 誰が言ったか「梅にウグイス」ですが、これは花札の図柄を表現しただけなのでしょうか。花札には梅の花とウグイスが描かれていますが、現在の気候で言うと、梅の開花時期とウグイスが「ホーホケキョ」と鳴く時期には差があります。この図柄が考えられた時は梅にウグイスは合致していたのでしょうか。それとも、梅で有名な大宰府では同じ時期の物なのでしょうか。・・・などと、地理、歴史、気候変動に思いをはせるのもまた一興・・・ですが、私の経験では「梅にメジロ」が実際には一番多い組み合わせです。梅にメジロがとまっているのを見て「あっ、梅にウグイスだ」と言っている人の隣で「梅にメジロです」と心の中でつぶやくのは私だけでしょうか(笑)。 「岡本梅林公園」(無料)には初めて行きましたが、昨年まではずっと、「大阪城の梅林」(無料)、その前は、東京大田区池上の「池上梅園」(有料:100円)に行っていました。植えられている梅の本数では大阪城が一番多いのですが、池上梅園は観光地としての管...

日本酒、始めてみませんか その3

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 以前の記事にもこの写真(図)のモノクロバージョンを載せましたが、私が気に入った日本酒のボトルのラベルをオンラインミーティングの背景用に構成したものです。 やっぱり、どうしても、自分の好きな酒の話をしたい気持ちを抑えることができなくて、この写真を載せてしまいました。ただ、この中のすべてがおいしいと思ったわけではなく、特徴が気に入ったり、懐かしい思い出が関係したりしたものも含まれています。 たとえば「月ノ井」。茨城の酒です。麹の味が一般的な酒とは少し違います。私はこの特徴が好きですが、万人受けするかどうかはわかりません。 たとえば、「あさ開」。これは岩手県では珍しくないメジャーな酒ですが、盛岡に住んでいた時、寒い冬の仕事帰りに、焼鳥屋で飲んだ熱燗の「あさ開」は体を十分に温めてくれました(味は忘れました)。 たとえば「鶴齢」。日本酒バーで仲良くなった私より一回りくらい年上の紳士が「私の名前の1文字がはいっているから、鶴齢ばかり飲んでしまう」とおっしゃっていたのを思い出します。キリッとした、いい酒です。(キリって何?) この写真を作った後にも、お気に入りの日本酒が増えていますので、私のベスト5は常に変化しています。

日本酒、始めてみませんか その2

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  日本酒についての蘊蓄(ウンチク)を語るのは、あまり好きではないし、得意ではありません。たぶん、同じ銘柄なら、純米、純米吟醸、純米大吟醸を並べて飲み比べても、違いがわかるかもしれませんが、違う蔵、違う銘柄ならわからないと思います。 私の味覚の話ではなく、それだけ蔵によって味は千差万別だからです。 前回のその1にも書いたように、だからこそ「自分の気に入った酒がうまい酒」だと思うのです。 よく「酒は辛口に限る」という人がいます。それを否定はしませんが、「辛口」と言われても、それだけでは、私はその味を思い浮かべることはできません。舌にピリッとくる辛さもあれば、アルコール度数が少し高い酒もありますし、味の濃い酒もあります。 一口目で「ちょっと味が強いなあ。これを辛いというのかなあ」と感じることはありますが、日本酒の面白いところは、時間がたつと、そんな酒でもマイルドになったりします。 家で飲む時は一日2合と決めています。4合瓶だと2日で空く計算です(実際にはもっと早くなくなります)が、純米系の酒は、空気に触れると変化するので、1日目と2日目では、明らかに味が違います。 前回と同じしめくくりですが、是非、お気に入りの酒を見つけてください。それも、「この酒の2日目」と表現するとかっこいいですね。 あるまかんポイント ・「日本酒度」という指標もありますが・・・。

日本酒、始めてみませんか その1

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 ここ数年、地ビール(クラフトビール)が流行っていると聞きます。スーパーマーケットでも、有名メーカーのビールや発泡酒がたくさん並んでいる棚の一部に、地ビールコーナーを設けているところが多くなりました。地ビールファンに言わせると「日本の地ビールはこれだけじゃないよ」ということかもしれませんが、以前と比べると、多くなったなあと感じます。 何年前でしょうか。ワインソムリエの方のテレビ出演が増え、ワインブームがおこりました。逆に、ワインブームだから、ソムリエが増えたのかもしれませんが、あれ以来、ワインは日本の食文化に定着しているようです。今はワイン通が増え、「xx年のどのブドウの出来がいい」と普通に会話が交わされているそうです。また、価格帯も超高級からお手頃まであり、選択肢が多いのも魅力の一つかもしれません。 さて、日本酒です。日本酒もブームの波が何度か起きているのですが、ワインに比べると小波です。どうしてでしょうか。私が考える限り、原因は3つあります。 まず第1は「若者が日本酒に手を出さないこと」。第2は「『日本酒には和食』のイメージが固定してしまっていること」。第3は「味がよくて、リーズナブルな価格帯の居酒屋で、美味い日本酒を出さないこと」です。 Ⅰ:私の友人にも多いのですが「日本酒を飲んだら、次の日が大変」という人がいます。これを聞いた若者が「日本酒を飲むと危ない」と間違って刷り込まれてしまっているのではないでしょうか。どんな酒でも飲みすぎると次の日は大変です。「日本酒はガブガブ飲む酒ではない」とわかっていれば、大変なことにはなりません。もう一つの「大変回避策」は、「まじめに作られたおいしい日本酒」を飲むことです。 Ⅱ:「日本酒には和食」とか「和食には日本酒」と思っている方にお聞きしたいのですが「(日本の)寿司屋にワイン」はありですか?私に言わせると「あり得ない!」です。ワインを置くとおしゃれに見えるかもしれませんが、ワインは、刺身のような「なまぐさ物」には合いませんし、酢の物にも合いません。では、もうひとつ質問ですが「ブルーチーズに日本酒」は合うと思いますか? はい、合います。とても合います。冷酒ならもっと合います。日本酒は相手を選ばないのです。 Ⅲ:居酒屋には必ず日本酒がありますが、あまり特徴のない酒が置かれています。これには大きな理由があります。一般的に...

タイパ !!!!!

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  「タイパ(タイム・パフォーマンス)」と聞いて、思い出したことがあります。 約30年前、30代だった私は、町内の「子ども会」の世話役をしていました。月1回の古紙回収を子ども会で行い、それを売ったお金をコツコツと貯めて、子どもたちを簡単な遠足に連れていくというような役です。 今、その町内は「老人の町」ですが、当時は幼稚園児、小学生だけでも20人以上いたと思います。 ある年、子ども会の貯金がたまったので、電車とバスで2時間近くかかるところにある「巨大迷路」に子どもたちを連れて行きました。到着すると迷路の入り口前で子どもたちに入場券を配り、一斉にスタートしました。私も事故が無いように一緒に入っていきました。10分後くらいでしょうか。楽しんでいるかどうかと心配しながら、子どもたちの動きを観察していると、ある事に気が付きました。いつもぎゃあぎゃあと騒いでいる悪ガキ3人組と、迷路の中で、全く出会わないのです。不審に思い、迷路の外に出てみると、その3人が缶ジュースを飲みながらテーブルの所にいました。 「早いねえ。もう出ることができたの?」 「うん・・・」 「3人で。いっしょに出たの?」 「うん、壁の下を通ったらすぐ出た!!」 たしか、迷路は子ども一人が500円くらいのコストだったと思いますが、何という「タイパ」でしょう。他の子どもたちは1時間以上かかってパラパラと「タイパ」悪く(?)出てきました。 映画や、ドラマを早送りにして楽しむというタイパ。私の迷路の経験と似ているような気がしてなりません。本来、楽しむべきは「道に迷うこと」「結論より、経過を楽しむこと」のはずなのに、「こたえ」だけを求めてしまっているような気がします。きっと本などは「かったるくて」読んでいられないのでしょうね。 会社での後進の指導時でも、学校での学生の指導時でも「こたえ」を求める若者が多いと感じていました。「こたえ」ではなく「考え方」を学んでほしいのですが、成果主義や〇×式で育った若者にそれを求めてはいけないのでしょうか。 あるまかんポイント ・すべての若者ということではありませんが、やはり、教育の問題だと考えます。 ・「コスパ」でも「タイパ」でもなく、金と時間に関係なく品質のみを追求する「ヒンパ」はどうでしょうか。