「ワークライフバランスなんてくそくらえだ」と言ったのですよね?

自民党総裁選で勝利した高市早苗氏の「ワークライフバランス」発言については、既に、違和感を感じておられる方も多いと思うが、ここで私見を述べさせていただく。

高市氏は「私は総裁になった。今後は、ワークライフバランスというようなことを考えずに、国民のために仕事をする」という趣旨の総裁着任の挨拶をした。

これは、間違いなく、小泉氏への嫌味である。小泉氏は、ワークライフバランスの名のもとに、育児休暇を取得した。高市氏は、「そんなことでは、国民のための仕事はできない」と言いたいようである。また、「だから、あんたは負けるんだよ。ざまあみろ」と表情で付け加えているように見えた。また、これは「挙党態勢」と言いながらも、その気がないことを意味している。

ただし、国民のために仕事をすることと、ワークライフバランスには、何の関係もない。高市氏は、しかし、何らかの関係性を見ている。つまり、氏の周りには、必死で仕事をしない政治家が多いということだろう。

もう一つ問題がある。氏は「ワークライフバランス」を「時間」という「量」で捉えている。これは、かねてからの議論ではあるが、ワークライフバランスは、量ではなく、質の話である。つまり、高市氏が「寝食を忘れて」仕事をすることが、氏にとってのワークライフバランスのはずであり、時間の問題ではないはずである。(「寝食を忘れて」が「ワークライフバランス」の代わりに使うべき言葉であったにも関わらず、氏は、語彙不足であった。)

もう一点。ワークライフバランスは、もともと、「仕事をしている女性が家庭のケアができない状況を改善する」ための言葉であった。つまり、女性をサポートするための考え方が源である。高市氏は、それを「ワークバランスなんて言ってられない」と片付けてしまった。是非はともかく、世論からはかけ離れている。

安倍政治を継承するという意味が、右傾化だけではなく、「言葉を弄ぶ」ことの継承にならないことを望む。

ワークライフバランスの定義は、人によって違う。それは、業種、職種によっても違うし、ポジションや能力によっても違う。性別によっても違う。個人の家族構成や家計の状況によっても違う。当然、価値観によっても違う。つまり、「質」の話である。しかし、質は測れない。だから、「時間」を尺度としてしまうのも致し方ないとも思うが、だからこそ、軽々しく使ってはいけない言葉である。

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