絵馬の背景
絵馬を眺めるのが好きだ。正確に言うと、絵馬に書かれた願い事の背景にある物語を想像するのが好きだ。神社の納所にはたくさんの絵馬が吊してあるが、他人が書いた絵馬に手で触れると失礼なので、あくまで願い事が書かれた面だけを眺めると決めている。 願い事の種類としては、やはり「合格祈願」や「学業成就」が多い。高校受験、大学受験に加えて、資格試験を目標にしている絵馬もある。「医学部に絶対合格」を見ると「寝る時間も惜しんで勉強しているんだろうな。母親は夜食を準備し、他の家族も声を潜めて生活し・・・」などと勝手な想像をめぐらせてしまう。「合格祈願」の 4 文字の後に複数の人の名前が書かれた絵馬もある。きっと、学校か塾の先生が休みの日にお参りに来たのだろう。この先生と生徒たちは日頃から仲が良くて、生徒が先生に何でも相談できる良い関係なんだろうなあ。「ほら、次の授業が始まるから、また放課後に話しにおいで」という先生の優しい言葉がいまにも聞こえてきそうだ。 次に多いのが「健康」「病気平癒」だ。もう 30 年以上前になるが、私も父が病で臥せっている時にお百度参りをし、その後で「病魔退散」の絵馬を奉納した記憶がある。願いは一旦かない、大手術の末、父は自宅に戻ることができたが、残念ながら 3 年後に他界した。 本人の学業成就のように、自分のことであれば「人事を尽くして天命を待つ」というモチベーションが絵馬に表れるが、自分ではなく周囲の人間のことになると、人事を尽くすことにも限界があり、天の助けを求めざるを得なくなる。その結果、絵馬も少し暗い表情になっているように見えるのは、私の考えすぎだろうか。 先日、とある神社の納所を見ていると「xxxx(歌って踊る若者の人気グループ)のコンサートのチケットが当たりますように」という絵馬があった。神様は学業を成就させてあげたり、病気をなおしてあげたりすることで忙しいのに、チケットの当選サポートまで手が回るのだろうか。この絵馬を奉納した人は、何度もチケット抽選に申し込んだが当選せず「もう神頼みしかない」と意を決して、はるばるとこの神社に足を運んだに違いないが、本人も神様も人(神)事の尽くしようがないパターンである。 「パパがフィリピンから早く帰って来ますように」と書かれたかわいい絵馬。ダムか高速道路か大きな工事のプロジェクトの
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