柿食えば・・・・

「柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺」という俳句がある。つい最近まで、芭蕉か、一茶の句だと思っていたが、子規の句らしい。「つい最近」とは、3分前のことである。3分前までは、芭蕉か一茶だと思っていた。調べてみたら、違っていた。

子規といえば「またおかしき」ではなく、「まさおかしき」であるが、そんなことはどうでもいい。

子規は、「ああ、法隆寺で鐘が鳴っていることよ」と感じた。ということは、子規は、法隆寺には、いなかった。たぶん、隣の中宮寺にいた。私は、中宮寺の半跏思惟像よりも、広隆寺の半跏思惟像のほうが好きだ。中宮寺は観音菩薩で、広隆寺は弥勒菩薩である。 


話は「柿」である。

柿には、すごい力がある。鐘を鳴らす力の話ではない。柿の味の話である。

子規が、どんな柿を食べたかは。知る由もないが、硬い柿だったのか、ジュクジュクの柿だったのかを想像してみたい。硬い柿は、あまり味がない。歯応えはある。ジュクジュクの柿は、甘い。驚くほど甘い。感動するほど甘い。しかし、歯応えはない。

美味しいのはジュクジュクだが、子規が食ったのは、硬い柿である。硬い柿でないと、鐘は鳴らせない。

考えてみてほしい。硬い柿も、ジュクジュクの柿も、同じ柿である。硬い柿と、ジュクジュクの柿の間には、「グラデーション」がある。と、思いませんか。徐々に、味が変化していくと、感じたことはありませんか。最後には、干し柿にまでなる。

例えば、リンゴ。リンゴにはグラデーションはない。と思う。例えば、バナナ。美味いか、臭っているかのどちらかしかない。グラデーションはない。ミカンも、グラデーションはない。当然、スイカもない。ましてや、ブドウに、あるはずはない。マツタケはわからないが、マツタケは果物ではないので、どうでもいい。モモも、グラデーションはなさそうだ。

で、柿を食えば、鐘がなるのである。ジュクジュク柿を頑張って食べている時には、鐘の音なんて聞こえるはずがない。

正岡子規は(マタオカシキではない)、熟す前の硬い柿を食べて、「熟すまで待つ忍耐が必要」と言いたかったのだ。きっと、そうに違いない。

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