どの組織にも、その組織なりの価値観がある

X (Twitter)には、政治(政策)への様々なコメントが投稿されている。その中でも「もうXを見るのはやめよう」と思わさせるのが、「XXXX円の壁」と表現される減税に対するコメントである(2024.12.17現在)。

「某党が国民のための減税案を出しているのに、それに賛成しない与党、政府はおかしい」という論調なのだが、どうしても首を傾げたくなる。

ある党が「国民のため」という名目で出した案は、全てホイホイと賛成しなければいけないのか。その案は国民のご機嫌取りではないのか。その党の人気を上げるためのものではないのか。その案は「国のかたち」に対して本質的に役立つものなのか。

「多様性」「ダイバーシティ」という言葉が多く使われるようになったが、その本質は「性別の違い」「国籍の違い」「肌の色の違い」「年齢の違い」ではないと私は考えている。本質は「価値観の違い」である。性別が違って、国籍も肌の色も違い、年齢も違う人が多く集まって、同一の考え方をしたグループを多様性のあるグループとは言わない。それは、多様性のないグループである。

その点から、某党が出した某案に賛同するかどうかは多様性の問題であり、民主主義の本質であると思う。「Xを見るのをやめよう」と感じるのは、その原則を考えずに(もしくは、知らずに。または、無視して)批判的な言い回しで価値観の多様性を認めない投稿のせいである。

転じて、ビジネスの現場で同種の違和感に悩まされたことを思い出す。

私は、社内情報システム部門に属し、社内の業務運営を円滑にするため、売り上げを伸ばすため、コストを適正化するために、情報システムに関するソフトウェアやハードウェアを導入・運用することを業務のテーマとしてきた。

この業務には2面性がある。「攻め」と「守り」である。「攻め」の代表的なものは、先に述べた「売り上げを伸ばすためのシステムの導入」であり、「守り」の代表は「情報セキュリティの確保」である。

営業部門は売上増加が至上の命題であり、そのためのシステム化要望を突き付けてくる。ただ、こちらは、売上増加策は理解できるものの、セキュリティ確保も避けられない課題であり、両者のバランスが必須となる。バランス案としての「落としどころ」を見つけないといけないのだが、要求者は「売上増の邪魔をする気か!」と言い出す始末である。

さて、話はもとに戻る。Xにある「国民のための減税案なのに賛同しないのはおかしい」というコメントは「売上増加策なのにセキュリティについてゴチャゴチャ言うのはおかしい」というコメントはどこか似ていないかと感じる。

この話は「価値観の多様性」の話である。

どの組織にも、その組織なりの価値観がある。その価値観の違いを埋めるものがコミュニケーションのはずである。「テーゼがあり、アンチテーゼがあり、コミュニケーションによりジンテーゼを模索すべき」とヘーゲル哲学を持ち出すのは飛躍のしすぎだろうか。

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