「ダイバーシティ」と「多様性」
「ワーク・ライフ・バランス」と並んで、私が疑問に思う言葉が「ダイバーシティ」です。「ダイバーシティ」の日本語訳は「多様性」ですが、私の感覚(あくまで感覚で、学術的な裏付けはありません)では、「ダイバーシティ≠多様性」のように感じるのです。それは、私が仕事をしてきた環境(年齢、性別の差は一切なし)のせいかもしれません。この二つのことばを使う場面を想像してみると、「多様性」というと、単にいろんな種類の人間が集まっている状態(場面)をさすのに対し、「ダイバーシティ」は、意見や価値観が違う人が何らかの目標を達成するために協力する場面を想像するのです。
私の感覚をもとにすると、年齢も国籍もバラバラで、皮膚の色も違い、障害のある人もいたり、性別に対する考え方が違う人たちもいる状態は多様な社会ですが、その人たちのグループに、ある目的を与えた時、その中の多くの人に「興味ないなあ」「特に意見無し」「そんな能力は無いよ」と言われてしまうと「ダイバーシティによって、目標を達成しよう」とは言えなくなるのではないでしょうか。
つまり、何がダイバースかというと「能力、価値観、論理、立場」というような、人間の中に内在するものであり、外面ではないということです。
いくら女性政治家を増やしても(もちろん男性であっても)、能力や自分の意見やビジョンの無い人は数に含めるべきではないというのが私のダイバーシティ観です。ご批判もあるでしょうが。
あるまかんポイント
・ダイバーシティの世界に住む人は「ダイバーシティ!」とは叫ばないものだと思っています。
・私の言いたいことは「男女比率、年齢比率のような定量的なものではなく、定性的なものを如何に計測するか」ということに帰結します。
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