(日本語教師の思い出)ジュアンへのメール

 

(このエッセイは第28回随筆春秋賞に応募したものですが、残念ながら落選し、著作権が私の手許に戻ってまいりましたので、このブログで公開します)

ジュアンさん、

 日本での大学生活が始まって三か月が過ぎましたね。元気にしていますか。もう、大学には慣れましたか。ジュアンさんは誰とでもすぐに親しくなることができ、日本語学校の卒業時には日本語も上手に使えるようになっていたので日本人の友だちもたくさんできていると想像しています。

 私は、親の介護をしなければならなくなり、三月三十一日で日本語学校での教師の仕事をやめました。せっかく楽しく外国人留学生のみなさんの進学のお手伝いができていたのに辞めることになって、とても残念です。この前、街で偶然、国立大学の工学部に合格したチョウさんに会ったので、そのことを話すと「先生の進学指導が受けられない後輩は、かわいそうですね」とも言ってくれて、とてもうれしかったです。

 そう言えば、この間、東京の大学に行ったシュウさんからメールが来ました。日本の文化や社会のことについて、もっといろいろな人と話をしたいけれど、学校の中にはそんな話をする友だちがいないと悩んでいました。

 ジュアンさんの大学生活はどうですか。大学での勉強はうまくいっていますか。中国人のジュアンさんにとって、日本語の法律用語を理解して覚えるというのは大変だと思いますが、ジュアンさんなら大丈夫ですよね。

 私の日本語の作文の授業では「ファッション」や「化粧品」のことばかりをテーマにしていたジュアンさんが、突然、「法学部に行きたい」と言った時はとても驚きました。でも、ジュアンさんが本気で法学部進学を考えていることを知り、何としても力になってあげたいと感じました。ただ、今だから言えますが、「先生、私、マスクをしていたほうが可愛く見えるので、大学のオンライン面接試験はマスクをしたまま受験してもいいですか」と私に質問した時は、内心、「やっぱり法学部合格は無理か…」とも思いました。その私の予想を裏切って「先生、合格しました!」と涙を流しながら私のところに来たときは、私も、目頭が熱くなりました。

 確か、私の最初の授業で話したと思いますが、私が進学指導の担当を希望したのは「若い人を助けたい」という気持ちからでした。私は、人種や国籍や性別に関係なく、若い人が夢や希望を持って前に進んでいく姿を見ることが好きです。どんな形でもいいから若い人をサポートしてあげたいとずっと思っていました。

 だから、ジュアンさんだけではなく、チョウさん、シュウさん、ベトナム人のアインさん、他の学生のみなさん全員が志望校に合格したことはとても幸せで、みなさんが私の進学相談のアドバイスを受け入れてくれたことはとてもうれしいのですが、今、少し不安に思っていることがあります。大学に合格したのはいいけれど、授業についていけているのだろうか。授業を楽しんでいるのだろうか。私は、みなさんを大学に合格させることだけに力をいれて、その先の、みなさんの将来のことを本当に考えていたのだろうか。みなさんは「こんなはずじゃなかった」と後悔していないだろうか。日本語学校での教師の仕事をやめた後でも、そんな自問自答がいつも私の頭の中にあります。

 故郷を離れて、文化も違い、言葉も通じにくい国で、アルバイトをしながらひとり暮らしをするなんて、私には絶対にできないと思いますし、大学に合格するために必死で努力していたみなさんに対しては、尊敬する気持ちでいっぱいです。そんなみなさんに私は本当に役に立ったのでしょうか。大学を卒業した後でも、「日本で、いい先生に出会えてよかった」と思ってもらえるのでしょうか。

 長いメールになりました。このメールに返事しなくてもいいですが、もし、時間があれば、「先生、元気にやっています。勉強もがんばっています。」と短いメールを送ってくれたらとてもうれしいです。

 では、夏バテしないように体に気をつけて、頑張って勉強してくださいね。日本語の新聞を読むことも忘れないように。 さようなら。

 

 相手が外国人であれ、日本人であれ、教育に関わるということは、単に知識を与えるのではなく、若者が自己責任として自分という人間を形作るための線路の敷き方を教えるか、線路の上の走り方を教えるか、線路を敷くとはどういう意味かを教えることに他ならない。そして、それらを教えることには若者の人生設計について何らかの責任が伴い、その責任が全うできるかどうかを教えた側が最終的に見届けることができないというジレンマがいつもつきまとっている。それは、教師という職業に限らず、会社での上司・先輩もそうだろう。しかし、逆に、指導を受けた若者の側からすると、どうやって人生を組み立てればいいかわからない暗闇の中で何らかのあかりを与えてくれた人は一生忘れられない存在となるのである。

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