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ユネスコ無形文化遺産登録、おめでとうございます。「伝統的酒造り」

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2024年12月5日、日本の「伝統的酒造り」が、ユネスコ無形文化遺産として登録されることになりました。おめでとうございます。 登録の対象は「杜氏(とうじ)・蔵人(くらびと)等が、こうじ菌を用い、日本各地の気候風土に合わ せて、経験に基づき築き上げてきた、伝統的な酒造り技術(日本酒、焼酎、泡盛等)」です。 日本酒好きの私としても、無形文化遺産登録はとてもうれしく思います。日本酒、焼酎、泡盛をあわせて「国酒」と呼ぶこともあり、日本文化の発信材料としても面白いテーマだと感じています。ただ、焼酎、泡盛も飲む私ですが、「好き」と言うほどではなく、あくまでも日本酒好きです。ビールも飲みますが、喉を潤す程度しか飲まないので、アルコール飲料であれば何でも好きという訳でもありません。また、陽が高いうちは決してアルコール飲料を口にしないと決めているので、私の中では、晩酌での日本酒が一日のしめくくりとして最高の贅沢だと位置付けています。 でも、日本酒に関係して悩ましいと感じるテーマがあります。 日本酒は「日本酒」以外にも「清酒」「酒」というような呼び名がありますが、まずは、その定義を紹介したいと思います。 日本酒: 原材米に国内産米のみを使い、かつ、日本国内で製造された清酒を「日本酒」といいます。外国産米を使ったものや、海外で造られたものは、「日本酒」とは定義付けられていません。(日本酒造組合中央会) 清酒:米、米こうじ及び水を原料として発酵させてこしたもの(アルコール分が22度未満のもの)。または、米、米こうじ、水及び清酒かすその他政令で定める物品を原料として発酵させてこしたもの(アルコール分が22度未満のもの) 。(国税庁、酒税法) 酒:これは一般的な呼称のため、日本酒をさす場合も有りますし、種類全般をさす場合も有ります。ただし、これをSakeとローマ字表記すると「日本酒」を意味することになります(すでに英語になっています)が、上記の厳密な日本酒、清酒をさすかどうかまでは定義されていません。(有閑館) さて、話を元に戻します。悩ましいと感じるテーマがあると先に書きましたが、何が悩ましいのでしょうか。ひとつは「クラフトサケ」。もうひとつは「外国で造る酒」の話です。 日本国内で酒類を製造するためには酒類製造免許が必要ですが、日本酒製造については、長年、その免許がおりない状況が続いているよ...

国立大学法人 XX大学 XX県創生学部 2025年度カリキュラムとシラバスのお知らせ

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各位 地方創生を信条としている総理からの通達です。 以下の通り、国立大学法人 XX大学 XX県創生学部における2025年度のカリキュラムとシラバスをお知らせします。 在校生、新入生は熟読して授業に臨むようにしてください。また、本学部を受験予定の皆さんも、この資料を参考にして、入学後の授業イメージを持つようにしてください。 1年次テーマ:XX県の「変化しないもの」と「変化していくもの」を学ぶ ・地理的特徴を知る ・歴史を知る ・産業/経済/行政/環境を知る ・近隣県、地域、国との関係を知る ・問題/課題を知る(過去/現在/未来) 2年次テーマ ・観光業以外の地方創生策には、どんなものがあるかを考える ・地方創生策のベースとなる「ビジョン、ミッション、バリュー」ステートメントを考える 3年次テーマ ・君が設定した地方創生テーマについて、以下の考察を行う 1.人口動態への影響 2.地方財政への影響 3.継続性についての検証 4.イデオロギーとの関係(社会主義、資本主義等) 4年次テーマ ・君が考えたテーマを実現するためのプロジェクト企画書を作成し、プレゼンテーションをしてください。 再度、お知らせしますが、これは、地方創生をビジョンに掲げている総理大臣からの提案によるシラバスです。決して、軽はずみな、短絡的な内容にならないよう、十分に検討を行い、実行可能な計画を4年間で立案してください。 例えば「観光産業を活発にして、観光客を呼び込む」と言うようなアイデアそのものは「短絡的な内容」という評価になります。なぜならば、その結果として描かれる「ビジョン」が見えないからです。 また、「女性の住民を増やして、婚姻率を上昇させ、出生率も上げる」と言うような例も「短絡的」と言えます。 これらのような例を提案する場合は「ビジョン」との論理的な関係性を明確にしてください。 日本の未来は、君たちの手に委ねられています。

どの組織にも、その組織なりの価値観がある

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X (Twitter)には、政治(政策)への様々なコメントが投稿されている。その中でも「もうXを見るのはやめよう」と思わさせるのが、「XXXX円の壁」と表現される減税に対するコメントである(2024.12.17現在)。 「某党が国民のための減税案を出しているのに、それに賛成しない与党、政府はおかしい」という論調なのだが、どうしても首を傾げたくなる。 ある党が「国民のため」という名目で出した案は、全てホイホイと賛成しなければいけないのか。その案は国民のご機嫌取りではないのか。その党の人気を上げるためのものではないのか。その案は「国のかたち」に対して本質的に役立つものなのか。 「多様性」「ダイバーシティ」という言葉が多く使われるようになったが、その本質は「性別の違い」「国籍の違い」「肌の色の違い」「年齢の違い」ではないと私は考えている。本質は「価値観の違い」である。性別が違って、国籍も肌の色も違い、年齢も違う人が多く集まって、同一の考え方をしたグループを多様性のあるグループとは言わない。それは、多様性のないグループである。 その点から、某党が出した某案に賛同するかどうかは多様性の問題であり、民主主義の本質であると思う。「Xを見るのをやめよう」と感じるのは、その原則を考えずに(もしくは、知らずに。または、無視して)批判的な言い回しで価値観の多様性を認めない投稿のせいである。 転じて、ビジネスの現場で同種の違和感に悩まされたことを思い出す。 私は、社内情報システム部門に属し、社内の業務運営を円滑にするため、売り上げを伸ばすため、コストを適正化するために、情報システムに関するソフトウェアやハードウェアを導入・運用することを業務のテーマとしてきた。 この業務には2面性がある。「攻め」と「守り」である。「攻め」の代表的なものは、先に述べた「売り上げを伸ばすためのシステムの導入」であり、「守り」の代表は「情報セキュリティの確保」である。 営業部門は売上増加が至上の命題であり、そのためのシステム化要望を突き付けてくる。ただ、こちらは、売上増加策は理解できるものの、セキュリティ確保も避けられない課題であり、両者のバランスが必須となる。バランス案としての「落としどころ」を見つけないといけないのだが、要求者は「売上増の邪魔をする気か!」と言い出す始末である。 さて、話はもとに戻る。Xにある...