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納豆の怒り

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 たぶん、納豆はイカッている。苦労して、独自のニオイを はなっているにもかかわらず、正式な名前で読んでもらえていないことに憤慨しているようだ。 納豆は「豆を納める」と書く。どこに納めるかというと、例の「ワラ」である。しかし、ナットウ(ここで、急にカタカナになるのは意図があってのことで、タイプミスではない)の、本質は、ニオイ(匂いか臭いかがわからないのでカタカナにする)であって、ワラではない。 ニオイとは、腐ったニオイのことである。腐った豆のニオイである。腐った豆?では、豆腐ではないのか。そこが怒りのポイントである。 かつて、ナットウの漢字は、納豆ではなく豆腐であった。腐った豆であった。そこに、トウフが来た。「来た」と言うより、「ねじ込んで来た」のほうが正しい。型に納まった豆、つまり、納豆はトウフであった。トウフはナットウであった。 訳がわからなくなった。 とにかく、かつて、納豆が豆腐で、豆腐が納豆であった。

クマは怒っている

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 たぶん、間違いなく、クマは怒っている。 人間との境界を守らないという理由で射殺されることに怒っているわけではない。環境変動によって、ドングリが少なくなったために、落ち着いて冬眠ができないからでもない。 怒りの原因は、敬称の問題である。 少し前まで、クマは「クマさん」と敬称付きで呼ばれていた。例えば、「森のクマさん」は「森のクマ」ではなく、「さん付け」である。それが、「敬称を略させていただきます」という断りもなく、新聞やテレビのニュースで敬称を略されて怒っているのである。日本のクマさんにもプライドはある。敬称を略されては黙っていられない。イギリスのクマは「くまのプーさん」と、しっかり敬称付きである。ドイツのクマは、敬称がついていないものの「テディ ベア」とフルネームで呼ばれている。もしかすると、日本のクマさんも「森野クマ」というフルネームかもしれない。 落語に出てくるクマさんは、大家さんに所に行くと「おお、クマさんか。よく来た。まあ、上がりな。」とお茶と饅頭まで出してもらっていた。 それなのに、最近の日本のクマさんは、呼び捨てにされている。これでは、クマさんが怒るのも無理はない。 せめてニュースの時だけは、次の例のように、「さん付け」にしてはどうだろうか。 「昨夜、秋田県鹿角市内で、山田シカさんが庭のネギを夕食用に取ろうとしたところ、体長1メートルくらいのクマさんが、柿の木に登ろうとしているのを見つけました。クマさんは、シカさんを一瞥して、木に登り始めましたが、その振動で、柿が地面に落ちたため、登るのをやめて、落ちた柿を食べ始めました。その後、クマさんは、シカさんに向かって、何か言いたそうでしたが、何も言わずに山に帰ったようでした。シカさんは、『家の近くでクマさんに会ったことがなかったので驚いた』そうです。夫のトラさんも、シカさんに「クマさんに襲われなくてよかったべ」と話したそうです。今年は、クマさんを見たという情報が、各地で多くなっています。」 (このコンテンツはエンターテイメントです。被害に遭われた方を冒涜するものではありません。)

「ワークライフバランスなんてくそくらえだ」と言ったのですよね?(ワークライフバランス その4)

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自民党総裁選で勝利した高市早苗氏の「ワークライフバランス」発言については、既に、違和感を感じておられる方も多いと思うが、ここで私見を述べさせていただく。 高市氏は「私は総裁になった。今後は、ワークライフバランスというようなことを考えずに、国民のために仕事をする」という趣旨の総裁着任の挨拶をした。 これは、間違いなく、小泉氏への嫌味である。小泉氏は、ワークライフバランスの名のもとに、育児休暇を取得した。高市氏は、「そんなことでは、国民のための仕事はできない」と言いたいようである。また、「だから、あんたは負けるんだよ。ざまあみろ」と表情で付け加えているように見えた。また、これは「挙党態勢」と言いながらも、その気がないことを意味している。 ただし、国民のために仕事をすることと、ワークライフバランスには、何の関係もない。高市氏は、しかし、何らかの関係性を見ている。つまり、氏の周りには、必死で仕事をしない政治家が多いということだろう。 もう一つ問題がある。氏は「ワークライフバランス」を「時間」という「量」で捉えている。これは、かねてからの議論ではあるが、ワークライフバランスは、量ではなく、質の話である。つまり、高市氏が「寝食を忘れて」仕事をすることが、氏にとってのワークライフバランスのはずであり、時間の問題ではないはずである。(「寝食を忘れて」が「ワークライフバランス」の代わりに使うべき言葉であったにも関わらず、氏は、語彙不足であった。) もう一点。ワークライフバランスは、もともと、「仕事をしている女性が家庭のケアができない状況を改善する」ための言葉であった。つまり、女性をサポートするための考え方が源である。高市氏は、それを「ワークバランスなんて言ってられない」と片付けてしまった。是非はともかく、世論からはかけ離れている。 安倍政治を継承するという意味が、右傾化だけではなく、「言葉を弄ぶ」ことの継承にならないことを望む。 ワークライフバランスの定義は、人によって違う。それは、業種、職種によっても違うし、ポジションや能力によっても違う。性別によっても違う。個人の家族構成や家計の状況によっても違う。当然、価値観によっても違う。つまり、「質」の話である。しかし、質は測れない。だから、「時間」を尺度としてしまうのも致し方ないとも思うが、だからこそ、軽々しく使ってはいけない言葉である。...

AI雑感 ➁: 日経XTECH(クロステック)NEXT関西2025に参加して

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2025年6月に「日経クロステックNEXT関西2025」というイベントに参加しました。 このイベントは日経BP社が主催して行われたものですが、「クロステック」はIT、建設、製造の分野がクロスオーバーしていることを意味しています。 大阪の中心である梅田が会場で、関係するベンダ各社の展示ブースと50-60人くらいから100名くらいを聴衆にした30分くらいのセミナーが数多く行われました。 現役時代は情報収集を目的として今類の展示会+セミナーには積極的に参加していたのですが、引退してからは初めての参加です。 参加の理由は2つあります。 ひとつ目の理由は、「引退してから8年が経過し、その間の情報技術(IT)の進歩や変化に疎くなってしまっていることへの反省」です。定年で引退する最後の年(つまり、8年前)には「顧客からの質問に対して迅速な回答ができるように、わが社もAIを導入すべきである」という社内部署からの提案に「AIは、未だ、進歩の途上にある技術の為、それを安易に導入すべきではないし、コストベネフィットがあるとは思えない(試算したコストは5億円)」と一蹴し、「RPA (Robotic Process Automationの略で、定型化された事務的な処理をソフトウェアに実行させて人的コストの削減や業務の合理化を行う方式)を導入して社内の業務を合理化すべきである」と言い出した部署(購買部であった)には「君の部署の中でコンピュータに行わせる定型業務を洗い出し、その業務に従事している人員コストの削減案を明確にすべし」と押し返しました。 でも、8年が経過した今、そんなことを言っていると相手にされない時代になっているのです。 もうひとつの理由があります。たまに受注するコンテンツライティングのテーマが、最近、「AI」「RPA」「情報セキュリティ」ばかりなのです。そのため、最新情報に触れておかないとライティングができない状況になっています。 このイベントへの参加で技術が身についたわけではないのですが、(無料で)自分の知識が古くなっていることを再確認することができて、とても感謝しています。 ただ、かつてのように、ハードウェア、ソフトウェアの導入を前提としておらず、あくまで自分の知識不足を確認するというスタンスだったため、ベンダ各社のブースで深い、実務的な質問をすることができまかったことは残念で...

AI雑感 ①:「フェイク」と「生成AI」を同じ土俵で語る朝日新聞の不思議

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2025年6月15日付の朝日新聞朝刊に「この画像、『フェイク』?『リアル』?」というタイトルの記事(コラム)が掲載されました。 その記事は2枚の写真を載せて、「どちらも、フェイクだ」と断じています。1枚は、二人の少年が石の階段に腰掛けている画像。もう1枚は、プロらしいバスケットボールの試合で、多くの選手が、ゴール下でボールを取り合っています。 二人の少年の写真については、「一人のお尻が石段にめり込んでいること」、バスケットボールの画像については、「ひとりの選手の足が3本あること」が「フェイクの理由だそうです。 この記事を読んで、違和感を感じた私は、すぐさま、朝日新聞の編集部にメールを書きました。 メールの主旨は「これらの写真は生成AIが作成したと思われるが、生成AI=フェイクと評価するのはいかがなものか。フェイクとは、人を欺く意思のもとで作成されるものであり、この写真に悪意は感じられない。既に市民権を得ている生成AIを『フェイクをまき散らす悪者』とするのは、時代遅れではないか」というものです。 当然のことながら、朝日新聞からの返事はありませんが、リアル、フェイク、生成AIを同列に論じる記事は、生成AIにあまりなじみのない読者に対するフェイクではないのでしょうか。 例えば、この画像をご覧ください。これは、私が生成AIに「外国人観光客が日本を楽しんでいる画像を作ってください」とプロンプティング(指示)してできたもので、このブログの別の記事にも使っています。 この画像は、ひと目で、生成AIが作ったものだとわかります。何故かというと、人物の性別、人種、肌の色は様々ですが、顔のつくりは全て同じです。まるで家族のように似ています。 では、これと同じ意図の写真を京都などの観光地で実際に撮影したら、何が起こるでしょうか。そうです。「肖像権の侵害」です。あまり気にしない方もいるかもしれませんが、勝手に人の写真を撮って、ブログに載せることは許されません。フェイク記事とは別の意味で、問題になってしまいます。 このように、想定される問題を避けるために、生成AIを便利に使うことも可能です。これも朝日新聞は「フェイクだ」と言うのでしょうか。 この記事は朝日新聞の浅薄さを指摘することを目的としている訳ではありません。 ただ、AIから離れた生活をしている人、将来、AIを使いこなさなければいけない人...

ポピュリズム

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 ポピュリズム辞書を作ってみました。 ポピュリズムとは。 「民主主義は多数決」の名のもとに、国民のご機嫌取りの施策を連発する政治のこと ビジョンの無い短視眼的な政策のこと 今の日本の政党全てを表現する便利な言い方 ご機嫌取りの政策を、「政治」と勘ちがいしている国民が喜ぶ政策 国民民主党、立憲民主党、日本維新の会と、自民党、公明党、共産党の違いを、曖昧にするもの ポピュリズムではないもの 経済的成長が必須だと考えることに疑問を持つこと 「分断」「弱者」「貧富の差」を、レトリックとして使用しないこと 統計(的なもの)で、誤魔化さないこと ロジックが明確に説明できるもの(例:備蓄米を随意契約にすれば米の価格が下がるというロジックがどこにも存在しない) ポピュリズムが関係する問題 令和の米騒動 SNS選挙 年収の壁 等々 最大のポイント ポピュリズム政治は是か非か?(私見:絶対に「非」です。理由は、将来を考える/将来を担う日本国民のためにならないから) AIに「ポピュリズムを表す画像」と指定すると・・・ 上段:by Gemini、下段:by Copilot ちなみに、ChatGPTに「日本のポピュリズムを表現する画像」とプロンプティングしたら、山本太郎氏と立花孝志氏と斎藤元彦氏の画像が出てきましたが、危険なので、掲載していません。(Www)

日本の評判・・・ホント?・・・お天道様が見ている

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YouTubeにアップされている動画の中に、訪日外国人旅行者に食事をご馳走しながら、日本の印象を聞いているものが多くある。そんな動画を見るのは嫌いではない。それは「日本が褒められているから」。 何が褒められているのか。 ・街が清潔でゴミが落ちていない:ごみ箱がたくさん設置されている訳ではないので、人々はゴミを捨てないで持って帰る ・人々が、みんな礼儀正しく親切である:英語が話せなくても、困っている外国人がいたら、何とかして助けようとしてくれる ・食べ物がおいしい:とくに、ラーメンと寿司 ・伝統的なものと近代的なものが融和している:建物のことらしい 話は変わるが、最近、「日本人は『お天道さまが見ている』という日本の心を忘れたのか」と感じることが多々ある。 ・ごみ収集日でもないのに、ごみを道路に出すがいる ・空き缶やたばこの吸い殻を道端に捨てる輩もいる ・挨拶もできない大人が多い ・困っている人がいても知らん顔をして通り過ぎる ・コスパだけを考えた食べ物が多く、本当の味を提供できない店が多い さて、前半の「外国人に褒められるニッポン」と、「私が感じる『お天道様が見ている』を忘れた日本人」のどちらが、実体なのだろうか。見方によっては、正反対である。 考察1:YouTubeの撮影者は、食事をおごる外国人に「日本の良さ」のコメントを強要しているのではないか(ほとんどが同じコメントである) 考察2:その外国人たちは、食事をおおごってもらうので、忖度しているのではないか 考察3:YouTubeの撮影場所は、ほとんどが、渋谷などの繁華街だが、外国人たちは、裏側まで見ていないのではないか 考察4:ごみのポイ捨てを無神経に行う輩は、若者に限らないようだが、年齢以外の属性を調査することで、「挨拶ができない」「困っている人を助けない」との共通項がつかめるのではないか 考察5:コンビニ、回転ずし、ラーメンを日本代表と思われていいのか 結論1:間違いない 結論2:多分、間違いない 結論3:間違いない 結論4:非常に興味深いが、「お天道様が見ている」という意識も併せて調査すべし 結論5:日本人も、そう思っているようだ で、実は考察4以外は、あまり興味が無い。 「お天道様が見ている」が日本の道徳観だと思っているが、宗教観でもあるような気がする。 日本人は、貧しくなったのだろうか。精神的に。