グローバリゼーションとイノベーション
会社員時代の同僚の名言がある。「USでやればイノベーション( innovation )、ドイツでやればスタンダーダイゼーション(standardization)、日本でやればデビエーション(deviation)」というものである。(deviationとは規則/標準からの逸脱を意味する) 名言としか言い様の無い名言である。 当時、私たちは革新的なアイデアと業務の標準化を求められていた。例えば、この名言家は「発表されたばかりのWindows10を使って営業業務を標準化する」という提案をした。しかし、それはdeviationだと一蹴された。標準として定義されていないOSの使用は社内ルールからの逸脱であり、イノベーションとも認められないというのである。私も同様のことを数多く経験した。 私はこの3つのカタカナ語の定義をしたいわけではなく、日本や日本人がする事への海外からの色眼鏡を感じると言いたいのである。 名言家のアイデア例は一企業内の話であるが、どこか日本の国の状況と似ていないだろうか。日本が日本的経営を捨て、成果主義を唱え、労働力の流動化を叫び、ガラケーというイノベーションまでをも捨てて欧米に追随しようとしたが、今や、欧米は自国の価値観を重視する方向に変わってきている。一周遅れを取り戻すには、日本独自の価値観を打ち立てるしかないのではないだろうか。 あるまかんポイント ・ガラパゴスと呼ばれた日本独特のものはガラケーにとどまりません。拡大解釈すると、アニメもマンガも日本的経営も国民皆保険も日本語も日本語の婉曲な言い回しもがガラパゴスなのだと思います。でも、それが、文化というものではないのでしょうか。右傾化すべきと言っている訳ではなく、「ガラパゴス的なものを捨てること=文化を捨てること」にならないように気をつけたいものです。